読書における「集中する感覚」とは
たとえば、私の趣味は読書ですが、目の前の本に集中・没入できる時もあれば、数ページ読むだけで他のことばかりが気になり、まったく内容が入ってこない読書になってしまうこともあります。
何がこの差につながっているか考えてみると、集中できている時は、その本や著者と自分が一緒に、一体になっているような感覚があり、自分自身も著者と一緒に、本のメッセージを書いたり、伝えたりしているように読めている。そんな実感があるのです。
一方、まったくといっていいほど集中できない時は、本や著者とのつながりを感じることができません。親近感や一体感がないまま文章を読み進めていかなければならず、しだいにページをめくるのが億劫になってきてしまう……。
まさに、本や著者と一緒に、一体になれていない=集中できていない状態と言えるのではないでしょうか。
小林秀雄的「物と親身に交わる」意識
と、ここまで解像度を上げていくなかでひとつ、「ある大切にしている本」と接続できるのではないかという認識がうまれてきました。
『考えるヒント』小林秀雄(文藝春秋)という学生時代から愛読している本なのですが、この中で次のような言葉が登場します。
なお、この引用文に出てくる「宣長」とは「本居宣長」のことです。また、「かんがふ=考える」のことだと捉えて、一通り読んでみてください。
要するに、「考えるとは、考える対象と親身に交わる=一緒になる、一体化すること」であり、「思考」も、今回のテーマの「集中」も、その本質は「対象との“つながり”をどれだけ感じられるか」という点に尽きる。このような捉え方をしていきたいのです。

