簡単につくれる家庭料理で人気。料理研究家の先駆者
料理研究家の草分け的存在として活躍した母・堀江泰子。実は、軍人だった父と結婚した当初は、まったく料理ができなかったそうです。母の祖父、私にとっての曽祖父は貴族院議員で、母は本家の跡継ぎとして、それはそれは大切に育てられたお姫様でした。生まれは宮崎県ですが、東京の小学校に入るためにお手伝いさんと一緒に上京。青山にある青南小学校を経て、自由学園に通いました。
そんな母が料理の道に進むことになったきっかけは、NHK『きょうの料理』の初代講師だった河野貞子先生の料理教室に通うようになったことでした。たまたま河野先生のお宅が近所で、河野先生は、母の親友のお母様。母は、迷うことなく、河野先生のお宅に、料理を習いに通うようになりました。料理教室のあとは、そのままつくったお料理をお盆に乗せ、布巾を被せて父との夕食用に持ち帰っていたそうです。「教室のあとは夕食の献立考えなくて良いから助かったのよ!」と、よく話していました。次第に河野先生の雑誌の仕事などが増えて忙しくなり、母も先生のお手伝いをするようになったのです。
『きょうの料理』が始まると、講師となった河野先生の助手として母もNHKについていくように。「本番中、先生に何かあったら私が代わりにできるように」と、先生がテレビで実践する料理を何度も練習して同行していたそうです。
その後、母もNHKの講師をするようになります。最初のテーマは、お弁当でした。私たち3人きょうだいはみんな毎日お弁当だったというのもあったのでしょう。それをきっかけに雑誌の仕事も増え、母はとても忙しくなりました。私が中学生の頃です。
母のレシピのこだわりは「シンプルで誰もが再現できる」こと。特別な食材や調味料を使わず、家庭で簡単につくれる料理を心がけていました。仕事には熱心で、ポリシーは「いただいた仕事は、それ以上にして返す」ことでした。「いつ誰がつくっても必ず同じ味になる=失敗しない料理」が提案できるよう、計量や正確さには徹底的にこだわっていましたね。納得がいくまで何度も細かい試作を繰り返していた姿が記憶に残っています。
母のレシピで反響が大きかったもののひとつは、『きょうの料理』で、紹介した「赤飯」です。当時の『きょうの料理』は、再放送も含めて放送が3回。再放送をする度に視聴率が上がり、「とても簡単にできるお赤飯!」と話題を呼びました。
赤飯は、本来、前日の晩にもち米を水に漬けて、翌日1時間ほど蒸します。しかし、母のレシピは、もち米を1時間水に漬けて、20分蒸すだけでよいという画期的なものでした。今でもこのレシピを紹介すると、お礼を言われることがとても多いんですよ。