なぜ一部の銀行員は顧客の金品に手を付けてしまうのか

逆に言えば、今回の貸金庫窃盗は、銀行の中でまだIT化されていない最後の聖域、ブラックボックスである貸金庫というシステムだったので、そこを突かれた。だから、被害総額が十数億になるまで発覚が遅れたということなのだろうか。

「なぜ銀行員が絶対にタブーである顧客の金品に手を付けてしまうのか」ということについては、映画『紙の月』の中でも分析されている。

映画オリジナルのキャラクターであり、大島優子が演じる窓口係・相川が、その危うい心理を語る。

相川「(銀行内でも)見張られてますよ。私たち、毎日、他人のお金いじる仕事しているんですよ」

梨花「そんな……。変な気、起こすわけないのに」

相川「私はヤバイです。お金触っていると、もう変になりそう。ダメですかね? 一瞬借りて戻すとか。使わないお金なんてちょっと借りても、お客さん意外と気づかないと思うんですよね」

このとき既に梨花は顧客の金に手を付けているので、その心理を見事に言い当てられたことに。吉田監督によれば、相川は「梨花のダークサイドから生まれた幻」のような存在だという。

梨花が横領した総額は、小説では1億、映画では3000万円ぐらいと描かれる。どちらにしても巨額で、発覚した後、銀行の支店長たちがパニックになる様子もリアルだ。同時に、たいへんな不正だが、銀行ではこれまでも「ありえた」ことなんだろうなとも思わせられる。

映画が示唆した、彼女たちを巨額横領に走らせる背景

映画は映画、あくまで物語なのだが、『紙の月』は直木賞作家の角田光代が生み出し、『桐島、部活やめるってよ』で日本アカデミー賞を、最新作『』(2025年公開)で第37回東京国際映画祭東京グランプリを受賞した吉田大八監督が演出した秀作である。吉田監督と脚本の早船歌江子が激しく議論しながら作り上げたという脚本も、原作のアレンジがすばらしい。そこでは梨花が横領するに至った背景として、2つの「格差」が示唆されている。

まずは経済格差。梨花のような契約社員や相川のような窓口係の給料は、おそらく年収500万円にも届かないだろう(原作では300万円程度と描かれる)。しかし、彼女たちは、業務上では数百万から数千万円という大金を動かせるわけである。梨花がお得意先回りをする顧客たちは、億単位の貯蓄を持つリッチな老人たち。たとえ彼らから預かった200万円をいただいたとしても、その10倍以上の金がまだ残る。相川が言ったように「ちょっとぐらい借りても……」と思ってしまうのも無理はない。