「発達障害」について、きちんと理解できている人はどのくらいいるのだろうか。立命館大学の川﨑聡大教授は「SNSで『発達障害』に関する発信が増え、多くの誤解を生んでいる。ざっくりと特定の傾向を語るのは、『日本人とは』を『アジア人とは』くらいの規模感で話をしているのと同じである」という――。

※本稿は、川﨑聡大『発達障害の子どもに伝わることば』(SB新書)の一部を再編集したものです。

耳をふさぐ子ども
写真=iStock.com/Jatuporn Tansirimas
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「発達障害ブーム」の光と影

昨今、発達障害というワードを耳にする、また目にする機会が増えたと思いますが、それぞれの使う人の意図や背景、その人の育った時代によって同じ「発達障害」というワードであっても指すものはまちまちであることに注意が必要です。

さらに、ことばのイメージはその人の経験から切り離すことが困難で、その人の語る(その人の視点の)「発達障害」がほかの人の「発達障害」に合致する保証はありません。つまり発達障害を代表するように見える「大きい声」であっても、たとえそれが当事者の意見であっても、それが「すべての発達障害を代表している」という保証はないのです。「群盲象を評す」状態になりやすいわけです。

同じ発達障害であっても、その人の環境や歴史、遺伝的素因も異なるのでひとりとして同じ人はいません。つまりすべての発達障害に共通する「ライフハック」や「ハウツー」なんてものは存在しません。

現在、「発達障害ブームの光と影」とでも言うべき状況です。前提条件の理解が形成されていない中で、個々人のさまざまな「思惑」が付加された無責任な発信が大きな影の部分だと言っていいでしょう。SDGsやニューロダイバーシティ、インクルーシブ社会といった社会の耳目を集める「キラキラワード」を織り交ぜて恣意的な発信を繰り返すと、大きな誤解を生む危険が生じます。

そもそも「発達障害」とは

発達障害……。そもそも「障害」って何でしょうか。障害がある状態とは?

何か「病気」や「疾患」と呼ばれる状態を持っていることでしょうか。ざっくり言うとこの意見は「障害の医学モデル」という視点に立ったものとなります。医学的観点からの診断をもって障害とする意見です。

では反対に、「障害がない状態」とは、どのような状態でしょうか。このような質問を講演などで私がすると、多くの方から「その日その日の生活が特に何の支障もなく過ごすことができている状態ですか?」と返ってきます。この回答は「障害の社会モデル」という視点に立ったものとなります。この視点から考えると、障害は、個人の病気や疾患ではなく社会が生み出しているというわけです。

どちらのモデルが正しいのでしょうか。あくまで視点の違いであり、どちらか一方が「正解である」「間違っている」といったものではありません。前者は個人の要因、後者はその人が生活する社会を念頭においているわけです。

昨今では「生活に支障が出て、生きづらさを感じている状態」に注目して、その人を取り巻く環境と、特性の双方から工夫し生きづらさを解消していこう、という考えが主流となっています。これを専門的には、医学社会統合モデルといいます。