知的障害と発達障害の違い

もう1つ、世間で誤解が多い点についてお話をしておきます。発達障害はASDやADHD、限局性学習症に限ったものではありません。医学診断名だけでも発達性協調運動障害や、発話の障害である「語音症」(いわゆる機能性構音障害)や発話の流暢性の障害である「発達性吃音」も同じグループになります。

ほかにもありますが「発達障害」のグループは極めて幅広いものです。「発達障害とは」とざっくりと特定の傾向を語るのは、「日本人とは」よりもさらに広く「アジアの人とは」くらいの規模感で話をしてしまっているのと同じだと思います。もちろん共通するところもありますが、異なる点も多いですし、環境が変わればその子どもの抱える困難さの見え方もまた変わります。同じ部分と違う部分とを押さえるバランス感覚が大事です。

ソファに座り、窓の外を見ている子ども
写真=iStock.com/dragana991
※写真はイメージです

SNSで見かける「発達障害民」という言葉の危険性

発達障害にもいろいろ、それなのに……昨今のSNSでは「発達障害民」なることばが出てきます。発達障害と診断された(あるいは自称する)ユーザーが、自虐の意味も含めて「発達障害民はこうだよね」と主語を大きくして語っているようです。「いいね」の数が少なくない投稿も多いようです。この発達障害民ということば、私は正直好きではありません。

川﨑聡大『発達障害の子どもに伝わることば』(SB新書)
川﨑聡大『発達障害の子どもに伝わることば』(SB新書)

発達障害の診断は基本行動特徴に基づきます。どういうことかというと、「視線が合いにくい」「じっとしていられない」といった発達障害の特性によって起こっているとされる(いくつかある)特定の行動が一定期間(およそ6カ月)以上持続している事実があり、その状況を医師が確認して診断に至るわけです。ただ、これらの行動は必ずしも発達障害の特性から起きるわけでもない(それ以外の理由で起きる場合も少なくない)ことに留意する必要があります。

つまり、ある程度共通する行動特徴を抽出することができるだけです。いくつか共通する行動があるからこの人たちは全部同じであると、十把一絡げにして、さらに「それ以外の人」(発達障害特性のない人)も1つにまとめてその対比で語るのは暴論です。

白か黒かの二元論は一見わかりやすいですし、周囲の注目を集めることはできますが、対立構造を生むだけに社会の溝と誤解をより大きくしかねません。

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