「こういう問題は地元メディアは取材しない」
――石川さんは著書で、地元の媒体が書かない理由について、行政と私学が各媒体にとって、広告を出稿してくれるクライアントだからではないかと推測しています。
【石川】僕は長崎県知事の定例会見で、この事件に対する県の対応について知事に質問しました。そのときに県の総務部長から抗議を受けた顛末を本にも書いているのですが、地元紙のベテラン記者が部長と僕の間に割って入り、県側に付いて僕を諌めました。
その場で言い合いになったのですが、今振り返っても、地元紙がこの事件について県を擁護するような書き方をしたことは、クライアントだから忖度をしたのだと思います。
でも、こういうことは各地方で起きているのだろうと思いました。というのも、取材を始めてからある教育評論家に「こういう問題は地元メディアは取材しない。あなたが一人でがんばりなさい」と言われたことがあります。残念ですが、その通りになりました。
「コスパの悪い取材」は継続しにくいが…
――両親の記者会見で一度は報道が盛り上がったものの、他社が徐々に関心を失っていったことはどのように感じましたか。
【石川】どの社も十分ではない人員配置のもと、日々、新しいニュースに追われています。他方、この事件では学校は一切取材に応じず、膠着状態に陥ってなかなか生の動きがありません。その中で続報を書こうと思えば、ほじくり返したり遺族のアクションを待つことになる、労力のかかる取材です。そこまでやる話なのかというと、もう終わったことだろうと判断されることもままあります。
加えて、この件では学校の対応について違法だと断ずる材料はありませんでした。どちらかといえば道義的、道徳的な責任を問う話なので、及び腰になるのも想像できることです。
でも、この事件はひとりの高校生が命を絶つという極めて深刻な事態だったにもかかわらず、学校は口を閉ざし、やり過ごそうとしました。僕らが取材して報道するという仕事をしなければ、報道の役割を自ら否定するようなことではないかと思いました。
海星高校で起きたことは、この学校に憧れる子どもたちやその保護者をはじめ、地域の人にとっても知るべき重要な情報だと思います。事件への行政の情報開示の姿勢や学校への監督責任のありようは、長崎市民の民主主義に関わる問題ではないでしょうか。しかも、その後の取材で、同じ学校で4年間に4人の生徒が亡くなっていたことがわかりました。