つまり私はがん告知を受けただけでなく、すでに転移していると知らされ、そのうえでハッキリと余命宣告されてしまったのだ。
妻は激しく動揺した。私はと言えば「ああ、そうなのか」と受け止めていた。
自分でも不思議なくらい淡々としていて、医師から「森永さん、あなたの話なんですよ」と叱られてしまったほどだ。その時の自分の心境を言葉にするのは難しいが、「人はいつか死ぬ。死なない人は一人もいないのだから」と思っていた。
自分は4カ月先に死ぬのか
それが自分の場合、4カ月先なんだなぁという感じだったのだ。
そもそも私は生に対する執着が薄い。
長生きしたいなどと考えたこともなかった。
人生100年時代と言われるようになって久しいが、日本は寝たきり大国なのだ。
施設に入所するならもちろんのこと、自宅で介護生活を送るのにも年金では回せないほどの経費がかかる。
たとえ健康であっても資産が尽きてしまうとも限らない。そんな厳しい現実をどう乗り越えるのかをテーマに書いた『長生き地獄』というタイトルの自書もある。長く生きればいいというものではないというのが持論だ。
しかし私は早く死にたいと思っていたわけではない。結論部分を残したまま書き終えていない本のことが気がかりだった。
〈「三途の川が見えた」喋ることも食べることもできない…余命わずかの森永卓郎(67)が直面した「慣れないがん治療の辛さ」→「それでも復活できた理由」〉へ続く