昭和天皇の葬列の光景

雨の中なのに一斉に傘を閉じる不思議な光景については、まったく別の場面ながら、私がかつて見たある場面を思い出す。それは、はるか以前、昭和天皇が崩御された時のこと。

平成元年(1989年)2月24日、新宿御苑で「大喪たいそうの礼」が行われ、その後、おひつぎ武蔵陵墓地むさしりょうぼちに移された。その車両によるご葬列をお見送りするために、雨が降る中を沿道に約36万6000人(『昭和天皇実録』第18巻)の国民が並んだ。当然、人々は傘を差していた。

私も青山通り近くで、悲しい気持ちを抱えてたたずんでいた。すると、お柩を乗せたお車が左手方向から近づくにつれて、誰にも言われていないのに、皆がそれまで差していた傘を次々と閉じ始めた。お車が通り過ぎる時には、誰もが雨に濡れながら、頭を垂れてお見送りしたのだった。

もちろん、それは悲しみの場面であり、今回はお祝いの場面だから、状況は正反対であり、まったく違う。しかし、人々が雨の中でも自発的に傘を閉じた事実は、一致している。

昭和天皇のご葬列を見送った国民が傘を閉じたのは、お柩に納まる亡き昭和天皇への深い追悼と敬意からだったろう。その心情の深さゆえに、傘を差したままお見送りすることは申し訳ない、という感覚が共有されていた。

人々はなぜ傘を閉じたのか

時代が移った令和の今、一般参賀で人々が傘を閉じた理由は何だったのか。

日の丸の小旗を振ってお祝いする自分たちの姿が、傘によって皇室の方々の目からさえぎられてしまうのを避けるためか。それとも、自分より後ろの人たちが傘にさえぎられて、ベランダからお手を振ってお応え下さる皇室の方々を見えなくなることへの思いやりだろうか。

いずれにしても、皇室と国民の間を傘が視覚的に遮断してしまうことへの、漠然とした拒絶感があったと見ることができる。そこには、皇室と国民とのゆるやかな一体感が、間違いなく存在したはずだ。