「人の命ってのはどう努力したって限りがある」「とってもやりたいね」…高倉健が遺作の撮影直後に実現を熱望していた“ある目標”とは(谷 充代/Webオリジナル(外部転載)) 『高倉健の図書係 名優をつくった12冊』より #2

《30年の間に交わした手紙は80通》高倉健の仕事仲間が明かす…“不器用な男”の「ユーモアあふれる」手紙の内容〉から続く

昭和から平成を股にかけ、常に第一線で活躍し続けた俳優・高倉健さん。彼は常に“本”を求める俳優だった。

「テクニックじゃない。読んだ活字が、生き方が芝居に出る」

そんな考えを持ち、さまざまな書籍を求めた“不器用な男”の読書を、そばで支え続けてきた女性がいる。編集者の谷充代氏だ。健さんと彼女の関係性とはいったいどのようなものだったのか……。ここでは谷氏の著書『高倉健の図書係 名優をつくった12冊』(角川新書)の一部を抜粋。死を迎える前、高倉健さんから谷氏のもとに送られてきた手紙についてのエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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「お母様との暮らし、悔いのないように」

健さんが、『単騎、千里を走る。』(2006)以来、6年ぶりに出演した主演映画『あなたへ』。

劇場初日は6年間ずっと待っていたであろう中高年の人たちが多かった。それもご夫婦で久しぶりの映画館、そんな人間模様に溢れていた。

北陸のある刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)のもとに、ある日、亡き妻・洋子(田中裕子)が書いた絵手紙が届けられる。

そこには、一羽のスズメの絵と共に、

「故郷の海を訪れ、散骨して欲しい」との想いが記されていた。

長く連れ添った妻とはお互いを理解しあえていたと思っていたのだが、妻はなぜ生前その想いを伝えてくれなかったのか……。

そして、もう一葉は、洋子の故郷・長崎県平戸市の郵便局への“局留め郵便”だった。

その受け取り期限まであと10日。

亡くなった妻の真意を知るために、自分で内装をしたワンボックスカーで、一人旅を始める英二。

その旅は富山から始まり飛騨高山、京都、大阪、竹田城、瀬戸内、下関、北九州市の門司、そして洋子の故郷である平戸の漁港・薄香へと続く。

人生の終末、愛する人との別れは必然である。

「いつか」は誰にも訪れ、そして残される者がいる。