医学の知識はあっても、人生経験はない若い医師

【大﨑】先生についている若い医師にしても医学の知識はあるはず。でも、人生経験はない。だから、30秒だけ手を握ろうという感覚が分からないんじゃないかって思うときがあるんです。

ぼくは今、71歳です。このぼくみたいなおじいさんが、どんなふうな仕事をして何を考えて生きてきたのか、家族が何人いて、何が楽しみなのか。患者を一人の人間として全人的にどうアプローチするのか、分からない。

【藤原】医師だけでなく看護師にも同じことが当てはまるかもしれません。看護は、身体だけでなく、社会的、心理的、さらに踏み込めば霊的な側面からまさに全人的に患者さんを見なさいって習うんです。しかし、若い看護師が人生経験を積んでいる患者さんの生活を想像することは難しい。

【大﨑】ぼくは近畿大学の客員教授として年に何回か講義をしていますが、1回目は医学部の学生さんが対象なんです。そこでは、皆さんが先生になるとき、患者さんはぼくみたいな老人が過半数となるかもしれない。

年寄りとのコミュニケーションをとるときに、必要なのはその人が歩んできた人生、家族に興味を持つことですよっていう話を90分するんです。

高齢の患者と話す若い看護師
写真=iStock.com/itakayuki
※写真はイメージです

【藤原】(深く頷いて)興味を持つということは大切です。近代看護学教育の母と称される(フローレンス・)ナイチンゲールは〈三つの関心〉という言葉を使っています。

一つ目は医学的な知見に対する関心、二つ目は(看護の)技術に対する関心です。三つ目は患者さんの苦しみ、辛さを知ろうという関心。大﨑さんがおっしゃっていることと重なりますね。

自分の居場所はどこにあるのか、悩むことも多かった

【大﨑】藤原さんって、どうして看護師になろうと思われたんですか?

【藤原】私が小学校3年生のときに、ウイルス性の疾患で父親を亡くしているんです。前日の夜まで普通に会話していた父が、翌朝、病院に行ってからそのまま帰ってこなかった。

【大﨑】そんな突然だったんですか?

【藤原】亡くなったのは隔離病棟に入院してから数日後でした。私たち家族は、父がどんな風に最期を迎えたのか知ることができず腑に落ちなかった。

こんなことでいいのだろうかと思ったことが、医療の世界に進むきっかけになりました。とはいえ、そのときはどのような仕事があるのかも分かっていなかったんですが。

【大﨑】藤原さんが通われた府立花園高校は勉強のできる学校ですよね? そこから国立大阪病院附属看護学校に進まれた。

【藤原】母子家庭だったので大学に行ける余裕はなかったんです。母親からは「手に職をつけなさい」ということは言われていました。

【大﨑】経歴見ると、卒業後は、国立大阪病院、現在の国立病院機構大阪医療センターの救命救急センター、国立循環器病センターなど様々な病院で勤務されていますね。

【藤原】国立病院機構は転勤がありましたので、豊中市の刀根山病院(国立病院機構大阪刀根山医療センター)、京都医療センター、福井県のあわら病院、姫路医療センターなどで勤務してきました。

【大﨑】大阪、京都、福井、兵庫とかなり広い範囲ですね。

【藤原】病院を代わるたびに、私はここで一体何をすればいいのかって、悩んだことも多いです。大﨑さんの著作のタイトル『居場所。』ではないですが、自分の居場所はどこにあるのかと。

【大﨑】読んでいただいたんですね。ありがとうございます(笑い)。