マネージメント力が試される競技団体
今回のパリ大会はどの球技も解説者が「各国の差が縮まってきた」と話す場面が多かった。
例えば男子バレーではストレート(3–0)で終わる試合が減少。フルセットまでもつれ込む接戦が2016年リオデジャネイロ大会(全38試合)で8%しかなかったのに対し、24年のパリ(全26試合)では35%に増えた。どの競技にもおしなべて存在感を発揮してきた大国ロシア不在の影響はあるものの、スポーツのグローバル化が進み各国が拮抗する流れは加速するだろう。この動きは当然ながら個人を含めた全競技に言えることではある。
その点を考えると、今後は各国における競技団体と競技団体の戦いになるのではないか。そう考えたのは、日本フェンシング協会を以前から取材してきたからだ。
競技団体とは協会、連盟を指す。その競技の選手登録や指導者ライセンスの推進など普及に努め、振興方針の提示や日本代表の強化など競技発展の中枢を担う。例えばフェンシング日本勢はパリ五輪で金2、銀1、銅2と計5個のメダルを手にした。国際フェンシング連盟のランキングにおいても、男子フルーレ団体、女子サーブルなどの種目でフェンシング発祥の地であるフランスを抜き堂々の1位である。
日本選手が初出場した1952年のヘルシンキ大会から、パリ大会前まで72年間で獲得したメダルはわずかに3つであることを考えると、いかに躍進を遂げたかがよくわかる。また、今大会で獲得したメダルは「個人初の金メダル」や「女子初の金メダル」など、すべてのメダルに「史上初」の肩書がついたものとなった。
そこで2018年から何度か取材した日本フェンシング協会の元専務理事、宮脇信介さんに話を聞いてみた。開口一番「スポーツの強化は10年ごとくらいに区切らなくては成果が見えない長期的事業です。これまで日本のフェンシングに携わっていただいた多くの方々の努力の賜物です」と感謝の言葉を紡いだ。
不祥事を起こしたフェンシング協会を立て直す
東京大学経済学部から日本興業銀行へ。米国カリフォルニア大学バークレー校でMBAを取得後、世界最大級の資産運用会社であるブラックロックなどに勤務した投資・運用のプロフェッショナルは14年、理事として協会運営に参画した。
大学のテニスサークルの後輩だった当時の山本正秀副会長に「フェンシング協会を立て直してほしい」と請われたからだ。長女に加え、パリ五輪で女子フルーレ団体銅メダルの次女・花綸が選手だったこともあり、21年までベンチャー経営との二足のわらじを履き続けた。
同協会は13年に架空の領収書で日本スポーツ振興センターから海外遠征の助成金を不正受給していたことが発覚。理事20名全員が退任したところから組織を立て直した。当時は他競技団体も助成金の過大交付などによる数々の不正受給が問題になったころ。先頭に立って財務体制の改善を図った。
17年からは31歳で会長に就任した太田雄貴会長に請われ、専務理事に就任。筆者が話を聞いた18年には、改革テーマとして早くも「東京後」を掲げていた。自国開催の東京五輪以降は国からの強化費もスポンサー収入も確実に減る。宮脇さんは「そのマイナスを吸収できるように組織だてを行わなくてはいけない」と先を読んでいた。
19年には、その前年に有料化したばかりだった全日本選手権をショーアップするなどし、価値を高めることで高額化に成功。スポンサーの支持も得て自己資金の調達力を高めた結果、指導力のあるコーチを海外から招聘したり、合宿など練習環境の整備を進めることができた。その努力がパリで花開いたのだ。