日銀が金融緩和をやめられない理由
ではなぜ、日銀はかくも「金融緩和」の継続に執着するのか?
大恐慌の瀬戸際でもないのに、なぜ金融政策は史上最大規模の「超超超超超金融緩和状態」を継続するのか?
その理由は、日銀自身の債務超過への恐怖としか考えようがない。
6月4日の参議院財政金融委員会で、私は植田総裁に「現在のような消費者物価動向や資産価格動向にもかかわらず、史上最強の金融緩和を継続しているのは、債務超過のリスクを怖がっているせいではないか?」と質問した。
これに、植田総裁は「政策の目的はあくまでも物価の安定でございまして、私どもの財務への配慮や財政資金の調達支援のために必要な政策の遂行が妨げられることはありません」とお答えになった。
しかし、かつて植田総裁は異なる見解を示していた。2003年10月28日の日本金融学会で、植田総裁(当時は審議委員)は「(筆者注:債務超過のリスクを意識するようになった時に)債務超過に陥る前からその可能性を高める引き締め政策を躊躇してしまうリスクも無視できない」と講演されている。これが引き締めを躊躇する最大の理由だろう。
「引き締め政策を躊躇することはありません」と断言する総裁としての発言と、「引き締め政策を躊躇するリスク」があるとする学者としての発言にはかなりのギャップがある。
私には総裁の舌が2つあるように見えてならない。立場上、二枚舌を使わなければならないのだろうが、他に何も考えずに発言できた時代の発言が当然のことながら本音だと私は思う。
日銀は「評価損は問題ない」と豪語しているが…
ところで黒田東彦・前総裁にしろ、植田総裁にしろ、私が債務超過になったときのリスクについて尋ねると「償却原価法という簿価会計を採用しているから評価損は問題ない」との答えをいつもされる。
その発言に対し、私はいつも「信用供与をするかしないかは信用判断される方の基準(=この場合は日銀)ではなく、信用供与をする側(この場合は米銀の審査部や格付け機関)の基準で決定されるはず」と反論してきた。住宅ローンを私がいくら「我が家の会計方式によれば我が家の家計は健全だ。だから融資すべし」と主張しても銀行側はそんな話に乗ってはくれない。自行の基準に従って融資を実行するか否かを決める。当たり前だ。
米銀が日本銀行との取引を継続するかは欧米銀行の審査基準、すなわち前世紀の遺物である簿価会計ではなく、時価会計で判断する。
私が邦銀から米銀に転職した1985年、受けたカルチャーショックの一つは、邦銀ではG7の国や中央銀行との取引は青天井だったのに対し、米銀では取引枠があったこと。取引枠があるということは信用度が落ちれば取引枠を縮小し、最悪、取引枠を撤廃するということだ。
G7の国や中央銀行と言えど100%安全ということは無い。テールリスク(起こるリスクは極小でも、起こると尋常ならざる損害が生じる)はいつでも存在する。日本人も東日本大震災で経験した。そのような事態が起きた時、解散しても損が生じないかを絶えずモニターする。それが解散時の評価、すなわち時価会計なのだ。