日本にインターが増えてきたワケ

近年、「インターの需要が増え、開校も相次いでいる」と語るのは、ウェブマガジン「インターナショナルスクールタイムズ」編集長の村田学氏だ。

「現在、インターは小中高で全国107校。約2万人の児童・生徒が通っています。プリスクールなどは800園に及び、5万人の幼児が通っています。平成で大幅に増え、令和になってさらに加速してきました」

1980年代までは、10年間で3、4校が新設される程度だったが、90年代の10年間には8校が新設された。2000年代には21校、10年代には26校が新設と一気に急増。さらに19

年から24年のわずか5年間で20校(※)が開校するなど、その勢いは増すばかり。

※関東近郊や大阪府内のほか、岩手、長野、山梨、石川、三重などに開校

その背景には、当然だが、英語ができる子供に育てたいという親の希望がある。

「グローバル化によって英語の必要性が高くなったわけですが、それがビジネスの世界でより進んだのが、日産自動車にカルロス・ゴーンさんが社長としてやってきた1999年。社内公用語が英語になり、真っ青になった会社員がたくさんいたのです。その後、武田薬品工業をはじめそういう会社が増えました。自分が働く会社も、経営者や上司が外国人になったり、外資に買われないとも限らない。ビジネスパーソンは、英語でアウトプットできないと食いっぱぐれるという危機感を肌で感じているのです」(村田氏)

そこで、まず増えたのが、英語で保育や教育をするプリスクールだ。インターは文部科学省が認定する一条校ではない学校が多いため、義務教育期間中の小学校や中学校からインターへ、ということには抵抗のある親も、保育園や幼稚園ならハードルは低い。

「最近は、プリスクール卒園後の進学先が、お受験をしてミッション系の小学校へという流れから、インターの小学校へと変わりつつあります。インターの場合、1クラスが20人くらいで先生が2人つきます。子供一人一人の個性が尊重され、やりたいこと、伸ばしたいことをやれるのです」(村田氏)

英語の必要性を感じているのは、都会の富裕層やビジネスパーソンだけではない。瀬戸内海沿岸や富山県など、地場産業が国際化している地域もあり、英語の必要性の高まりに合わせる形でインターが開校しているという。AIC国際学院広島(広島市)やトリニティーインターナショナルスクール(富山市)などがそうだ。

とはいえインターの授業料は非常に高額。年間で200万円を超える例も少なくない。インター志望の家庭のすそ野拡大に一役買っているのが、祖父母たちだという。

「今の祖父母たちは、1人の孫に渡せるお金の額が大きいのです。またバブル期に海外旅行や留学、海外勤務や出張を経験した世代ですので、英語で学ぶことをポジティブにとらえているわけです」(村田氏)

一方で、受け入れるインター側の事情も変化してきていると、村田氏は言う。

もともとインターは、日本に滞在する外国人のための学校だった。そこに入れる日本人の数はごくわずかで、ほとんどが帰国生だった。それが変わったのは、90年代以降。経済情勢の一変と自然災害とが大きな影響を与えた。

「95年に阪神・淡路大震災が起きました。97年にアジア通貨危機が始まりました。2008年にはリーマンショックが、11年には東日本大震災がありました。そのたびに、外国人駐在員が日本を去っていったのです。東日本大震災の後、都内のインターナショナルスクールでは60%もの児童・生徒が帰国しました。これでは経営が成り立たないため、日本人の生徒を一定数入れる方向に切り替えたのです。そうすれば、経済危機や自然災害が起きても、ある程度の生徒数は確保できますので」(村田氏)