禅が教える「枯淡の境地」
私は庭園デザイナーをしています。庭造りには大勢の人の協力が必要です。しかし、最終的な仕上げの場面になると、独りで庭と向き合い、自分自身と対話することで、魂を込めて決断をしなくてはなりません。
そうやって自分の心とぎりぎりの状態で向かいあった果てに見出されるものが、枯淡の境地を表現する「禅の庭」には欠かせません。
人の評価や意見は聞き流すくらいの気持ちでいましょう。ものごとを成すには、まずは自分の心がどこを向いているかが大事です。
自分の内側を静かに見つめる時間を一日に1回は持ちましょう。そこから静かに湧いてくるものをしっかり見定め、目を逸らさない強さを持ってください。
掃除とは「心の埃」を払うこと
昨今、掃除や片づけをテーマにした本が人気だそうです。もちろん、本の中では掃除のコツや片づけの仕方といったものが説明されているわけですが、多くの読者はさらにその先に心の断捨離といったものも求めているようです。
なぜなら、掃除や片づける行為には、同時に心を整える効用があるからです。
心は放っておくと、いろいろなゴミや埃が自然とたまっていきます。しかし、心の掃除をするといっても、どこをどう手掛かりにしていいかわからないかもしれません。
その点、掃除や片づけというのは、具体的で入りやすい。そんなことも、このブームの一端を担っているのでしょう。
禅寺では、掃除は大事な行のひとつです。一片のゴミもないよう境内を掃き清め、本堂の床や柱をピカピカに磨き上げることで、禅僧自身の心も磨き、整えているのです。