第一夫人になっても安心できない、正妻の座を奪われることも

結婚式をあげ、正式に貴族社会に公表したのが妻だった。そのなかで正妻格が、北の方である。何人かの妻に通っているときは、ある程度たつと正妻格の妻と同居するようになる。同居している妻が、北の方と呼ばれた。倫子は、常に道長と同居しており、北の方と呼ばれた。

服藤早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版新書)
服藤早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版新書)

道長の父兼家の妻のうち、当時、北の方と呼ばれているのは時姫だけであり、道綱母が、北の方と呼ばれている史料はない。北の方こそ、何人かの妻のうち、正妻格であった。『源氏物語』では、光源氏の北の方は、まずは葵上、次に紫上、女三宮が降嫁すると女三宮が、北の方と呼ばれている。

北の方は、一生涯安定した地位ではない。新しい妻と結婚したとき、その妻の方が身分が高い場合、新しい妻と同居し、新しい妻が北の方となる。しかし、前の北の方と離婚するわけではないので、前の北の方は、妻の一人になる。「はじめの北の方」「今の北の方」「まま母の北の方」など、いろいろな呼び方があるのはこのことを示している。正妻といっても、けっして油断してはいけなかった。

服藤 早苗(ふくとう・さなえ)
歴史学者

1947年生まれ。埼玉学園大学名誉教授。専門は平安時代史、女性史。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。著書に『家成立史の研究』(校倉書房)、『古代・中世の芸能と買売春』(明石書店)、『平安朝の母と子』『平安朝の女と男』(ともに中公新書)、『藤原彰子』(吉川弘文館)など。