「助けてほしい気持ちがある」ことが前提の自殺予防策
たとえば、東京都教育委員会による「SOSの出し方に関する教育」は児童・生徒の自殺防止対策を強化していく目的で作られました。「子供が、現在起きている危機的状況、又は今後起こり得る危機的状況に対応するために、適切な援助希求行動(身近にいる信頼できる大人にSOSを出す)ができるようにすること」が掲げられています。この内容を実際に見ると、助けてほしい気持ちがあることを前提にしているのがわかります。
しかし被虐待児には、そうした前提が通用しないことがあります。最初から大人に期待していないからです。被虐待児は人生最初の出会いである親(大人)に気持ちを聞いてもらえたことなどなく、理解もされませんでした。なので「人って怖いんだな。信じると傷つくだけだから、やめておこう」と確信しているかのようです。
被虐待児は「自分も他人も信じられない」とよく訴えますが、悲しいことに「人を信じると傷つく」ということだけは固く信じているのです。
こういったことを斟酌すると、そもそも自殺リスクが高いと思われる被虐待児に、普通の子と同じように適切な「援助希求行動」を求める考え方自体が、どこか筋違いのような気もします。
ここで強調したいのは次のことです。多くの子どもにはSOSの出し方を教育するのは有効だと思います。一方、被虐待児にはあまり効果的ではないと感じられます。理由は上述の通り、彼らは自らSOSを発さないし、発し方を教わったからといって簡単に会得できるようなものでもないからです。
虐待を受けている子供は「眠たそう」
児童虐待は希死念慮のもとになり、自殺のリスクを高めます。しかし、虐待は外側から見えないこともあります。心理的虐待や軽微なネグレクトだったら、なおさらです。だから、心に傷を負っているのを見落とされてしまうこともしばしばです。こうした「見えない傷」を拙著『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)では第4章で取り上げました。
他方で、目に見える「現象」もあります。
現場での感覚ですが、虐待を受けている子は「不眠」を患っていることが多いのです。これが、子どもの自殺予防の重要な指標の一つになるはずです。