差別される側が平気で差別をする問題

2020年に黒人男性ジョージ・フロイド氏が、警察の不適切な拘束行動により絶命しました。そこから、全米中にブラック・ライヴズ・マター運動が広がり、それがトランプ政権を倒す一つのきっかけにもなりました。ただ、同時期にコロナ禍のアメリカで、アジア人が多数、暴行を受け、「国に帰れ」と罵られるヘイト活動も頻繁に起きています。あれだけ、差別の辛さを訴えた人が、一方では平気で差別をしている……。その大多数が黒人によるものでもありました。

そう、「差別される側は常に正しい」などということは決してないのです。

少しレベルの低い話をすると、女性差別撤廃を謳う人たちが、「男らしさ」には鈍感であったり、ルッキズム批判をしたその一方で、イケメンと口にしていたりもする。本年初夏、ある女性団体のパーティに出席した時、その会の会長女性が、登壇した女性代議士(常日頃ジェンダー差別撤廃を謳う)相手に「お若いですねぇ」と連発していた時も鼻白む思いをしました。

同様に、キャリアカウンセリングを生業にする女性団体で、「最近の学生は◎◎だ」というレッテル貼りを口にするのを聞いたときも閉口したものです。「女は◎◎だ」という話と同じでしょう。たとえそういう傾向があったとしても、「平均値の論理」「100:0の悪用」を思い出してほしいところです。

「女性は生物学的に良き遺伝子を求める」というトンデモ発言

私は、かつてジェンダー問題と少子化を憂うセミナーを開催したことがあります。その講演内容は、本連載に書いてあることとほぼ同じ。当然一節で、「女の人は、結婚相手の男性に、自分より年収・社会的地位が上の人を望む傾向がある」という話をしました。もちろん、それは、過去に労働社会への参加が許されなかった女性が、安定を求めるため結婚を選ぶ。その弊害なのだとも、本連載の通りに説明しています。社会全体として、こうしたアンコンシャス・バイアスを取り除いていかなければならない。そのためには、意識だけでなく、労働や賃金なども現代風に変えねば、というのが私の主旨でした。

結婚式
写真=iStock.com/Yurii Kifor
※写真はイメージです

会場には、男女差別撤廃を主張する女性参加者が圧倒的多数を占めています。

そして聴衆女性の一人から、最後の質問時間にこんな意見が述べられました。

「先生は、女性が自分より上の男性を求めることに違和感を抱きますが、私はそれが当然のことと思っています。女性は生物的に男と違います。女性のDNAには、『良き子孫を残したい』という思いが刻み込まれています。それは本能であり、どうしようもない話です」

この話に、なんと会場からは、けっこうな拍手が湧いたのです!

私は天を仰ぎたくなる気持ちになりました。

こんな話にはいくらでも反証を挙げられます。

「もし、お説ごもっともだとして、ならば、『優秀な男は何人も奥さんを貰ってもいい』と一夫多妻制が謳われたらどうしますか? それも動物社会の掟だ、と諦めますか?」

「子育ては生物学的に女性がするもの、などという駄論が長らく高らかと謳われていました。それにも違和感はないですか?」

「逆に、男・雄には、自分のDNAをたくさんの女性にばらまくという本能があります。そこからかつて、『不倫は文化だ』とおっしゃったトレンディ俳優がいましたが、これはどう思いますか」……。

結局、今、「女性は差別されている」と訴える人たちも、現代の「常識」を使って、都合の良い部分だけジェンダー論を振りかざしているだけではないか、と暗澹たる気分になりました。