インターネットは本という固まりを必要としない

最初の電子書籍元年であった1991年のExpanded Booksがインターネットの登場により失敗に終わったとき、我々は本という固まりと、インターネットの相性の悪さに気づくべきだったように思う。インターネットと相性が良いのは情報であって、本は必ずしも情報と同じではない。

紙の本しかなかった時代、本は情報そのものだったに違いない。けれども、インターネットの登場により、少なくとも紙の本はその役割を終え、紙の媒体としての価値を取り戻すきっかけを得た。この点は、先に紹介した『デザインのデザイン』で指摘されてきた通りである。少なくとも、10年前にはそういうことを考えていた人がいたわけだ。

にもかかわらず、僕たちは本という固まりを、インターネット上に再現してみせようとしている。タブレットのような端末が進化すれば、確かにそうした市場がいずれ出来上がるように思うが、それしか選択肢がないというわけでもないだろう。別の方向性を目指すという手もありそうな気がする。

インターネット上で本という固まりを再現したいのは、顧客の希望というよりも作り手の希望だろう。本がかさばらずに持ち運べるという利便性を強調する人もいるが、その方々の家が本の重さに耐えきれずに傾いているのかどうか、最寄りの駅まで歩いていけないほど鞄に本を詰め込んで歩いているのかどうかを聞いてみたい。本の虫という人々は確かに存在するが、それでも彼らの声に本当に企業が答えるべきかどうかは一考に値する。かつて、パナソニックのレッツノートは熱烈的ユーザーの支持を元にトラックボールを搭載したが、あまりに分厚すぎて市場には受け入れなかった 。

■『マーケティング優良企業の条件』
嶋口充輝他/日本経済新聞社/2008年 


 

本文検索ができることを強調する企業もある。確かにこの機能はとても便利だ。だがこの機能を使うのは、やはり誰だろうか。小説を読んでいる人たちが、主人公の名前を検索してその登場回数を調べたり、言葉の定義のずれをチェックして批判したりするとはあまり思えない。そういうことをしたいのは、研究者ぐらいである。

もっといえば、インターネット上で拡散し流通する情報の多くは、単位が小さすぎることもあってビジネス性に乏しい。うまく固めてあげる必要がある。この固め方の方法として、本というアイデアはうってつけだった。本というアイデアは、確かに情報を固まりとして扱うことを可能にして、1冊2000円といった形でお金に換えてくれる。けれども、このやり方はインターネット的ではない。繰り返して言えば、インターネット上ではこうした固まりとしての価値はあまり評価されず、ばらされた個々の情報がリンクされながら価値をもっている。さらに、インターネット上ではこうした個々の情報がほとんど無料で提供されているために、固めたところでうまく値付けしにくい。