組織の本質は変わっていない

私と同世代の、ある大学病院の先生が仰っていました。

「自分たちが若い頃は、お前そんなんじゃダメだとか、医者なんてやめちまえぐらいの勢いで、当時の50代や60代の先生から罵倒されてきた。それがある意味、自分の訓練にもなった。でも、自分がその年代になったら、すぐにパワハラだ何だと言われる。割に合わない世代だよ俺たちは」

確かにその通りなんです。自分たちがやられたように、下にやることはできない時代です。

ですが、それもよく考えると、要は言葉遣い、言い方ひとつだということです。

どんなに時代が変わっても、やはり組織の中では基本的に上意下達、秩序が第一です。それを昔は「お前、ちゃんとやっておけよ」とか「なんでできないんだ!」などと、キツイ言葉で下に伝えるのが当たり前でした。

今は時代が変わって、丁寧な言葉で伝えなければいけない時代になりました。

「しっかりチェックするようお願いしますね」
「どういう経緯で、こうなったの?」

荒々しい言葉はパワハラになるので、このように丁寧で優しい言葉に翻訳するということです。

今の若い人たちは真面目でマナーが良くなっている

しかし、考えてみれば、上司と部下の関係性はほとんど変わっていません。

昔も今も、上司の命令に部下が従うのは組織のルールなのです。むしろ最近の若い人たちの方が、昔の若者よりも真面目で、言われたことをしっかりこなそうという意識が強いようです。昔の若者の方が、上司に指示されても陰で舌を出して従わなかったり、ちゃっかりさぼったりしていたのではないでしょうか?

私の感覚では、年々若い人はマナーが良くなっていると感じます。時代の基準は変わっています。中高年の「普通」は、自制心のない行動に見えるかもしれません。

走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人――かれをわれは〈御者〉とよぶ。他の人はただ手綱たづなを手にしているだけである。(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)(『真理のことば』222)

ブッダは自分の手綱を自分でしっかりと握れ、自分をコントロールするように、と言います。

暴れ出す馬が自分の感情だとしたら、本当の自己とはその暴れ馬をコントロールする御者です。

怒りという感情を御して、自分が自己の主人になるべきだというわけです。

慈しみの気持ちで接する

ビジネス社会という競争原理の中で生きているときは、なかなか他者に対して優しくなるのは難しかったかもしれません。

しかし60代になって、その激しい渦から一歩身を引くことができたら、他者、特に若い人たちに対しての慈しみの気持ちも大切になると思います。

あたかも、母がおのひとり子を命を賭けてもまもるように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(いつくしみの)こころを起すべし。(『ブッダのことば』149)

すべての生きとし生けるものに無量の慈しみの心で臨むべきだと、ブッダは言うのです。