仏教が説く「怒りをコントロールする大切さ」

怒りをコントロールする「アンガーマネジメント」というものが注目されています。

怒りを覚えたら、6秒間は一切反応せず我慢する。

怒りの衝動は6秒を過ぎると一気に冷めるので、この「魔の6秒間」をしのぎ切る。

実は仏教は、すでに約2500年前にアンガーマネジメントを提唱していたと言えるほど、怒りをコントロールする大切さを説いています。

怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。(『真理のことば』221)


怒らないことによって怒りにうち勝て。(同223より)

怒りは慢心の現れ

若者に対してつい怒ってしまうのは、どこかに自分は年長者でものをよく知っているとか、正しいという「慢心」があるように思います。相手が自分よりも下だと思い込む慢心。それが怒りの言動となって現れます。

そこは虚心坦懐たんかいに、年を重ねているからこそ「威張らない」「怒らない」と決める。「自分は慢心オヤジにはならないぞ」と戒める。

目くじらを立てて怒っている自分を想像し、「この間、コンビニで若い女性店員に怒って叱りつけてるオジサンがいたな。自分はああはならないぞ」と決めるのです。

他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。(『真理のことば』253)

言葉遣いから変えていく

では若い人とどう向き合うか?

複雑に考える必要はありません。まず言葉を慎み、普段から丁寧で優しい言葉で話すように心がけるのです。

言葉遣いから変えていきましょう。

年下でも「○○さん」と、さん付けするのです。

言葉遣いが丁寧になると、不思議とだんだん心も穏やかに紳士的になります。

「○○さん、これやってみてください」、「お願いします」と、丁寧語で話す。

丁寧語というのは、私も学生たちに使っていますが、とても便利な言葉です。

感情を抑え、自分をコントロールしている感覚があります。それが相手に伝わり信頼感や安心感につながるのです。

私はここ30年、18歳から20代前半の若い学生とずっと一緒です。常に相手は年下ですが、年を重ねてますます学生に丁寧に優しく語るようになっている自分に気づくことがあります。

授業を休んだ学生にも、厳しい言葉は一切使いません。

「どうしたの? この日休んだのは何かあったの?」

ごく自然に普通の感じで話しかける。すると、「先生、実は就活でどうしても出られませんでした」、「具合が悪くてどうしても行けませんでした」と返ってきます。

「なんで出てこないんだ!」と厳しく問い詰めたら、今の学生は一瞬で心を閉ざしてしまいます。

オフィスの階段で若者たちとおしゃべりする高齢の男性
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