是枝裕和監督の最新作『怪物』は、先のカンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞の2冠を達成した。是枝映画は、なぜ世界からの評価が高いのか。映画研究者、批評家の伊藤弘了氏は「是枝裕和の映画は『大半の観客が理解できる部分』と『一部の観客にだけ伝わればいい部分』とを高いレベルで共存させている。『怪物』にもほとんどの観客が見落としているであろう秘密が隠されている」という――。

※本記事では映画『怪物』の内容や結末に触れています。

謎解きの先にある映画『怪物』の真骨頂

是枝裕和の映画は「大半の観客が理解できる部分」と「一部の観客にだけ伝わればいい部分」とを高いレベルで共存させている。それによって生じる余白が玄人筋の観客を惹きつけるのである。

映画が適度に謎めいた表情を帯びていること。

これは、すぐれた映画が備えるべき条件のひとつである。もちろん、最新作『怪物』もその例に漏れない。

『怪物』は三章構成をとっており、同じ時間軸の出来事を三度にわたって描いている。各章ごとに視点人物を入れ替え、前の章で死角になっていた部分に光を当てていき、最終的に劇中で起こっていた出来事の真相が明らかになる。この構成自体が自ずと観客に謎解きを促す仕掛けになっているが、主人公の子どもたちの身に本当は何があったのかは映画を見ていれば問題なく理解できる。本作の真骨頂はその先にある。今回は、おそらくほとんどの観客が見落としているであろう細部に目を凝らし、映画『怪物』の秘密に迫っていきたい。

辞書とキャリーバックに秘められた意味

すでに映画を鑑賞している読者は、劇中に登場した「辞書」のことを思い返してほしい。どのシーンに出てきたか思い出せるだろうか?

まだ映画を鑑賞していない読者は、ぜひ「辞書」に注意して見てほしい。それからこの文章の続きを読めば理解がはかどるだろう(もちろん、映画を見ないで続きを読んでもらっても一向に構わない)。

辞書のことを記憶していない観客でも、第二章の視点人物である保利(永山瑛太)のキャリーバッグは印象に残っているだろう。彼は恋人の広奈(高畑充希)とのデート時や小学校への出勤時にキャリーバッグを引いている【図1】。旅行に行くわけでもないのに、普段のデートや通勤時にまでキャリーバッグを使うというのは、少し変わっているように思う。

【図1】保利はキャリーバッグで学校に通勤している。
【図1】保利はキャリーバッグで学校に通勤している。(画像=「映画『怪物』本編映像:保利先生について」YouTubeより)

じっさい、保利は一風変わったところのある人物として造形されている。彼の趣味は書籍の誤植を見つけて出版社に手紙を送ることである。要は言葉の間違い探しであるが、少なくともそれほど市民権を得ている趣味ではない。この趣味に関係して、保利はどうやら日常的に大量の本を持ち運んでいるようだ。そのために必要とされているキャリーバッグは、保利の性格を描写するためのさりげない小道具として効果的に機能している。

ただし、キャリーバッグは単に保利の性格表現のためだけに用いられているわけではない。劇中には同様の形状と役割を持った小道具がほかにも出てくる。辞書もそのひとつである。これらは互いに連関し、映画のテーマと結びついて、豊穣な意味のネットワークを形成している。順を追って説明していこう。