ムラ社会で「ロジカルな思考」は身につきにくい

それぞれ、スタウトビール、ピルスナービール、ジンの種類はタンカレーでジントニック、梅酒のロック、イタリアのスパークリングワイン、などそれぞれが今飲みたいものを主張します。主張しないとその場に存在しないと見なされる。そうなると自分のやりたいことは一切できない。その怖さが身にしみて分かっているのが英語を使う人々です。

目立つと嫌われていじめられる。右を見て左を見て、数の多いほうに同調しておこう。発言すると目立つのでとりあえず当たり障りのない書類を作成して渡しておけばよい。これが日本人です。つまり、文化的・社会的背景が比較的似通ったムラ社会でのコミュニケーションツールとしての日本語と、主張しなければ何も始まらない英語は別モノなのです。

会議のために手に日本の男性ビジネスマン
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「空気を読む」「阿吽の呼吸」が通用しないグローバル社会を生き抜くには、“違っていることが大前提”の相手を納得させるだけの論理性が、コミュニケーションの基礎となります。

ところが、曖昧さにどっぷり浸って育つ日本人は、この論理的思考、つまりロジカルな思考法が非常に苦手。これが日本人がいまだに英語への苦手意識を払拭ふっしょくできない理由の1つだと思います。英語の構造にどうしても馴染めないのです。

では、英語的な論理=ロジックとはなんでしょうか。

英語の論理は「序論→本論→結論」で成り立っている

簡単に言うと、英語の論理は、introduction(イントロダクション=序論)→body(ボディ=本論)→conclusion(コンクルージョン=結論)、これだけです。「なあんだ、日本語でも習ったよ、起承転結と同じじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これが別モノなのです。

英語の「序論」のポイントは2つ。「今日のテーマは~~です」(topic)、「テーマについての私の主張は~~です」(thesis statement)と、先にテーマと結論を言ってしまいます。当たり障りのない天気の話などでスピーチを始めて、最後にならないと結論が分からない日本の序論とは違うのです。

次の「本論」は、thesis statement(一番言いたいこと)をこれでもかとサポートする具体例を、優先順位に従って複数入れます。最後の「結論」は、thes is statementをもう一度繰り返してまとめます。どうでしょう? 日本で習った起承転結とずいぶん違いますね。