皇室と縁の深いベルギー王室の事例

この継承問題を考えるには、外国の類似の例が参考になりそうだ。イスラム教国は別にしてヨーロッパ諸国を見ると、長期間、同年配の兄が君主で、弟が継承順位第1位だったのは、ベルギーだけである。その経緯を『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館、八幡和郎・篠塚隆)から紹介しよう。

第2次世界大戦でナチス・ドイツに占領されたとき、政府は亡命したが、レオポルド3世はナチスに降伏して協力する形になり、戦後、息子のボードワンに譲位した。

ボードワンは名君で、言語対立と小党分裂で首相指名が難航するベルギーにあって、実質的な政治的調整に活躍した。留学中の今上陛下の面倒を親身になってみてくれたのも、ボードワン国王夫妻であった。

ボードワン国王の葬儀には、両陛下(現上皇ご夫妻)が葬儀に出席された。国内では国葬であっても葬儀には出席しないのに海外は例外という先例となり、エリザベス女王葬儀への両陛下出席はこれを踏襲した。

国王の弟として昭和天皇の訪欧の根回しに活躍

このボードワン国王には子供がなかったので、弟のアルベール殿下が皇太弟となった。プレイボーイで、イタリア美人の妃殿下ともどもスキャンダルが多かったが、政治力は格別に優れていた。

1964年の東京五輪や1970年の大阪万博で来日し、昭和天皇の訪欧が戦争の経緯から難航していると聞き、欧州王室に根回しをしてくれた、日本の皇室にとっては大恩人である。

兄王との年齢差は4歳だったので、アルベール殿下の息子のフィリップ王子への直接継承も選択肢と言われ、ボードワンが外遊に同行させるなど帝王教育を行った。

だが、ボードワンが1993年に急死すると、フィリップ王子では年齢的にも若く、未婚だったために、アルベール殿下が即位した。その20年後、79歳になったアルベール殿下は、高齢と健康状態を理由にフィリップ王子に譲位した。老獪な父王の死後に国王となるのは、政治情勢によっては不安もあり、政治的タイミングを見計らって短い予告期間で即位させ、後見しようという意図だった。

【図表】ベルギー王室の即位
筆者作成

アルベール殿下は、国王の弟という自由な立場を利用して名外交官ぶりを発揮したわけで、こういうのは、若い皇太子ではできない芸当だ。