仕組みを守り続けることが官僚の体質

例えば、同じようなことは捕鯨問題でも起きている。戦後の栄養が足りなかった時代と違って、今や消費者はクジラの肉を求めていない。鯨肉が余るから学校給食に出して消費するほどだ。しかし、水産庁は捕鯨への補助金を止めることはしない。世界中から叩かれても、補助金で生活を成り立たせている人々がいる以上、仕組みを守り続けることが官僚の体質だからである。

補助金は、スギを植えることではなく伐採することに集中して出すべきだ。切ることだけに補助金を出せば、ハゲ山だらけになるのではないかと心配する人もいるだろう。森が失われれば保水能力が落ちて、土砂崩れなどの災害を引き起こすことを危惧するわけだ。

保水能力を維持させたいなら、切り方に工夫をすればよい。林業では通常、地面からの高さが10センチのあたりでスギを切り倒す。残った根っこは自然に枯れていき、10年くらいをかけて土に還る。そうではなく、スギが枯れない高さで切るのだ。いずれ成長して古木になるが、当面は花粉が飛ばず、土地の保水能力も維持される。新たに苗木を植えるより経済的だ。

日本は林道の整備が進んでおらず、切っても運ぶのにコストがかかるというのも言い訳にすぎない。たしかに林道は必要だが、2~3トンのトラックが入れる広さの林道なら、大がかりな工事をしなくてもいい。

長野県に住む私の友人はカナダから伐採用の機械を購入したが、それを走らせれば簡単に林道ができる。林道はお金をかけずともつくれるのだから、木を切らない理由にはなりえない。

切った後のことは、切った後に考えればいい。環境だけを考えれば、実は何も植えなくてもよい。22年に亡くなった俳優の柳生博やぎゅうひろしさんは、日本の植林は間違いであり、野山は雑木林に戻すべきだと主張して活動していた。柳生さんがつくった「八ヶ岳やつがたけ倶楽部」をかつて案内してもらったが、鳥や虫たちが住み着く立派な雑木林の中を散歩するのは気持ちがよかった。植林に補助金を出さずとも森は自然に復活するのだ。

もちろん植林をしたければしてもいい。広島に本社を置く建材メーカーのウッドワンは90年、ニュージーランドの国有林民営化の際に広大な土地を購入した。日本企業がニュージーランド最大の土地持ちになったことで、現地ではいぶかしがる人が多かった。

しかし、ウッドワンは伐採後に地道に再造林を続けた。再造林した木が30年かけて育ち、それを伐採してまた再造林するというサイクルが一巡。サーキュラーエコノミーを確立し、今ではニュージーランド国民から尊敬を集めている。まずは切ることが最優先だが、その後に適切な木を植えれば、環境保護と経済性を両立できる。

日本で再造林するなら当然、普通のスギはダメだ。開発が進んでいる花粉の出ないスギや、他に北海道や青森で見かけるヒバ、長野にあるアカマツや落葉松。そういった木が、植林するのに最適だろう。