経営者が戦略理論を使うのは難しい
ところが、ブルース・ヘンダーソンが戦略論を生み出し、1970年代に入ると、戦略やPPMにあまりにも人気が出てきたので、競争相手のコンサルタント会社も真似て、ポートフォリオと名付けた概念を出してきた。
その頃から、米国企業では「智」と「将」を組織として分離する必要性が強まっていった。その第一の理由は、戦略理論というのは実際に使おうと思えば、結構、難しい理屈で組み立てられている。普通の経営者が完全に理解し、経営ツールとして自分でいじり回すのは簡単ではない。
戦略論の元祖であるBCGのポートフォリオ理論でさえ、一見するとカラフルで単純なチャートに見えるが、経営者が背後の論理や数値の裏付けを正確に理解するのは大変だ。自分でチャート1枚を作ってみようとしても、多くの経営者はすぐにギブアップになる。
1980年に出てきたポーター教授の「五つの競争要因」に至っては、あれほど有名な理論にもかかわらず、本当にその論理で自社戦略を語ったり、実行ツールとして社内で継続的に使っている経営者に私は会ったことがない。論理としてはきれいだが、動態的にデータ化して実際に継続して経営に使うとなれば、作業が複雑すぎて過重になるのである。ひと言で言えば、経営現場での実践性に限界がある。
「智」の影響力が大きくなり、「将」が萎縮する
そうなると、戦略論を経営に取り入れたい社長のジレンマは大きくなる。理論やツールを自分で使いこなせない。社内の普通の社員もお手上げだ。すると高いお金を払って、社外の戦略コンサルタント会社を使うしかない。これこそ、米国で70年代に戦略コンサルタント企業が爆発的に成長したメカニズムだった。つまり、彼らは企業経営者が自分で使いこなせない戦略論を売り出し、それに関するプロジェクト依頼がコンサルタント会社に来るようにしていたのである。
コンサルタント会社の料金は半端な額ではない。そこで、外部コンサルタントを幹部としてリクルートして、社内に戦略専門グループを立ち上げる会社が増えた。ところが、社長の側近としてそういう専門ブレーンのグループを置くと、社内でその「智」のグループが自己主張を始める。理屈も口も達者な人たちに、他の幹部が勝てない雰囲気が出てくる。
それによって、事業ラインの「将」が抑えられる形が強まってくる。そうなれば事業部の社長たちが全社戦略に影響力を及ぼす機会は減り、彼らは自部門の戦略を「忠実に実行する者」という役割になっていく。業績の悪い事業部の社長は、自分が事業売却の対象になるかもしれないとビクビクするようになる。