「業界1位、2位以外の事業はすべて売却しろ」
社内で「智」のスタッフが強くなった第二の理由は、戦略論理というものが伝統的な米国の経営志向に合っていたからだ。正確に言えば、意図してそれに合うような論理がたくさん作られ、企業に売り込まれた。トップダウン経営、短期利益志向、MBAを軸にした数字管理、株価や時価総額を重視した経営、リストラなど、たとえ赤字でなくても、株価・財務重視で合理化策を実行する経営が米国で広まってきた。それに合ったさまざまな打ち手が、企業戦略の一環として考え出され、発達するようになっていった。
1970年代に米国の大企業にPPM理論が広まったことと、1980年代に米国でM&Aブームが広がったことは、無関係ではない。例えば1970年代にPPM理論を熱心に信奉したGEから、80年代初めにジャック・ウェルチが社長として登場して、「業界1位、2位以外の事業はすべて売却しろ」と大号令を発して、その思い切った発想が注目を浴びた。しかしそれはPPM理論から自然に引き出される戦略であり、ジャック・ウェルチはそれを実行に移したのである。
短期に財務戦略の効果を出そうとすると、会社の長期の強みを弱めてしまうという矛盾も出てくる。例えば、新しい技術は外から買えばいいと考えて社内の研究開発を切り詰めると、一時的には利益が上がる効果は出ても、長期的には自社の開発能力は枯れていくという反作用が出てくる。一旦殺してしまった技術は、転職の多い米国では人が散ってしまうので、ノウハウは散逸してしまい、もう蘇ることはない。
戦略論に頼りすぎた80年代の米国企業は弱体化した
戦略論とは、企業が競争に勝ち抜くためのセオリーである。しかし果たして米国における戦略論の発達は、本当に米国企業を強くしていったのだろうか。
現実には、1980年代に入ると多くの米国企業はいよいよ弱体化し、日本企業との戦いで負けが込み、80年代後半には米国全土で史上最悪と言われるリストラの嵐が吹き荒れた。
つまり当時の米国経済の凋落の原因は、日本との貿易問題だけではなく、戦略と称して、短期的な財務的効果や時価総額を意識した事業整理、売却・買収による「会社転がし」など、安易な「飛び道具」に走りすぎた面があったと著者は考えている。