「鉄砲隊の三段撃ち」はウソ

織田軍の装備についても、かなり誇張がありそうだ。

日本の侍を完全な鎧で飾ったアンティークイラスト
※写真はイメージです(写真=iStock.com/NSA Digital Archive)

まずは鉄砲の数である。3000挺というのは比較的信憑性の高い太田牛一著『信長公記』の記述だが、写本のなかには1000挺とするものがあり、こちらのほうが正しいと見る学者も多い。

つまり、従来の3分の1の数しか、鉄砲を保有していなかったわけだ。

また近年、武田方も相当多くの鉄砲を所持していたという説もある。ただ、鉛が不足していたらしく、武田軍が銅を溶かして弾丸にしていたことがわかっている。

対して織田軍のほうは、弾にタイの鉱山から輸入した鉛を使っていたことがわかっており、弾や火薬が豊富だったのは確かだろう。さらに、多くの研究者が指摘するのは、三段撃ちのウソである。

信長は合戦当日、足軽鉄砲隊を3列横隊に並べ、前列が引き金を引いたらすぐに最後列に下がり、代わって2列目が引き金を引くといったように、間断なく弾を発射し続ける集団戦法を考案し、突撃してきた武田騎馬隊を壊滅に追い込んだとされてきた。

ただ、これは信憑性に問題がある小瀬甫庵の『信長記』に端を発する記述である。

実際、設楽ヶ原の地形は、凹凸が激しく入り組んでいて、とてものこと、武田騎馬隊が土煙をたてて横一列に一斉に突撃してくることは考えられない。

そのうえ、大混乱をきたしている戦場にあって、足軽鉄砲隊が一糸乱れず整然と三段撃ちを為すには奇跡的な技量を必要とする。

なおかつ、鉄砲隊は横列ゆえ、もし敵に横から回り込まれてしまったら、簡単に陣形は崩されてしまう。

ともかく、現実的には到底不可能な戦法、それが巷説の三段撃ちなのである。

このため近年は、弾を込め終えた足軽から次々と引き金を引いただけではないかといわれている。

武田軍のほんとうの死者数は

さらにいえば、戦国時代の馬は、現在のサラブレッドとは比較にならないくらい体格は小さかった。ポニー程度の大きさしかない。

しかもスピードは時速20、30キロ程度だったらしい。とはいえ、力は非常に強く、人間を蹴散らすことは十分可能だった。

ゆえに、武田軍が織田・徳川軍のつくった馬防柵を強硬に破ろうとしたのは事実らしい。

結局、敵勢を突破できずに武田軍は大敗を喫した。

『信長公記』によれば、武田軍は1万人が死傷したという。さすがにオーバーな数字といえよう。なお、信長は細川藤孝に宛てて「数万人を討ち果たした」と輪をかけて誇張した数字を記し、さらに「勝頼の首はまだ発見できないが、きっと斬り捨てられ、他の武田兵同様、川に漂っているだろう」と、勝頼まで倒したように誇張している。

当時の『多聞院日記』(奈良興福寺の英俊が著者)には1000人ほどが死んだとあり、このあたりが実数に近いかもしれない。とはいえ、武田方の大敗北は事実だった。