三つの動機に突き動かされた森元首相

たとえば、2021年2月、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を務めていた森喜朗・元首相が女性蔑視発言の責任を取り、辞任したが、驚いたことに自分が悪いとは思っていないように見えた。

森氏は、自身の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」という発言が問題視されたことについて、「意図的な報道があり、女性蔑視だと言われた」と反論した。また、「老害」と批判されたことに対しても、「極めて不愉快」と怒りをにじませた。これは、口では「大変ご迷惑をおかけしたことを誠に申し訳なく存じております」と言ったものの、本音では「自分が悪い」とは思っていなかったからだろう。

森氏は、「意図的な報道」とマスコミに責任転嫁することによって、自らの非を否認したと考えられる。そうして悪いのは自分ではないと主張できれば、自己愛が傷つかずにすむ。しかも、自分は悪くないという主張が認められれば、今後も“長”のつく役職に就けるチャンスがめぐってくるのではないかという思惑があったかもしれず、利得がからんでいたという見方もできよう。

もちろん、森氏がそこまで考えて発言したとは思えない。むしろ、自己正当化する人は、知らず知らずのうちに否認、自己愛、利得という三つの動機に突き動かされていることが多い。その点では、嘘よりも厄介だ。嘘であれば、嘘をついているという自覚があるが、自己正当化の場合、その自覚が欠けていることも少なくないからである。

「なんとかなるだろう」が事態をこじらせる

自覚がない分、自己正当化はこじれやすい。自己正当化をこじれさせる要因は、主に次の四つである。

①強い特権意識
②過去の成功体験
③想像力の欠如
④甘い現状認識

このうち、甘い現状認識が自己正当化をこじれさせることも少なくない。森氏は、問題の発言をした翌日、「撤回」会見を行なったが、反省の色がゼロにしか見えない「逆ギレ会見」に終わった。形だけ「撤回」して適当に謝罪しておけば、そのうち騒動がおさまるだろうという甘いもくろみが見て取れた。