「前年踏襲型のお役所仕事」という悪弊

右肩上がりの時代は終わりました。

物価は上がるのに、収入は増えない。使えるお金が減っているのを実感します。

社会全体が低調に推移する中、行政も「あれか、これか」を選択しないと、お金も人も施策も回らない。以前と同じことはできない時代です。そんな中でも、冷たい社会が何もしてこなかった子ども施策については、新たに「あれも、これも」することを求められています。

限られた予算枠で、子ども施策も実施する。そのために、単に経費削減を進めるだけでなく、お金の使い方、発想そのものを見直していきました。

固定経費の見直しでは、選挙ですでに、自ら身を切る公約を掲げていました。

就任後、市長の基本給を3割カット。

翌年からは、市職員の各種手当ての適正化を進めていきました。職員の地域手当は、物価の高い地域で基本給に上乗せして支給されます。当時、明石市では隣接する神戸市に寄せて、国基準を上回る10%を支給していたのです。これを基準どおり、6%に合わせました。

当然、すべての事務事業も見直し対象にしました。

しかしながら、前年と同じことを漫然と続けるのがお役所仕事というものです。前年踏襲の悪弊があらゆる場面で表れます。

各部局の予算に上限を設けても、所管組織で自ら優先順位をつけるように仕向けても、結局最後は「ほぼ従来並み」。継続を優先する慣習にとらわれて、大きな見直しにつながることはありませんでした。

市庁舎の中は敵ばかりに見えた

職員からの積み上げだけでは限界がありました。これまで続けてきた「どちらかといえば、やったほうがいい仕事」をかたくなに守りがちで、今ニーズが高い「やるべき仕事」であっても、新規事業というだけで枠外にされてしまうのです。

目の前の市民より既存の枠組みを堅持してしまう。凝り固まったお役所文化を変えること、職員の発想を変えることは、簡単ではありません。

一般の市民感覚とは大きなズレがある。ましてや私は外から来た「異分子」。発想も文化も、あまりにも違います。

おまけに1期4年の期限つき、選挙で外から来た身内ではない人です。市民に選ばれた市長であっても、最初からすんなり言うことが通る柔軟な組織ではなく、抵抗されている気配を毎日半端なく感じさせられました。

毎日庁舎に入るのがしんどい状況でした。市長室へ続く庁舎内の階段を上がる足取りも重く、いつも周りを敵に囲まれているような日々が延々と続きました。

それでも自治体のトップには、政策の方針決定権も、予算編成権もあります。トップが決めれば、大きな見直しも可能になる。私が決めれば、変えられる。あきらめなければ、できること。市民のためにやり切るだけです。