「普通の人が進学できる時代」の大きな変化

最終学歴も、特に日本の職業選択においては重要な要素であり、アンコンシャス・バイアスがかかりやすい部分です。

先にもお話ししましたが、時代は変わり、少子高齢化のあおりを受けて、今や過半数の人が大学に行ける時代になりました。

普通の人が進学できる時代になったのです。トップクラスの高校生が進学していた時代と比べて、「今の大学生は昔に比べて勉強しない」とか「頭が悪い」と言われるのは、大学進学率が高くなったからです。

つまり、「大卒」とひと括りで言っても、その内容は時代によって大きく変わるということなのです。今は半分以上の人が大学に行くようになっていますが、おそらくもう一世代経つと今度は「あなたは大卒なの? 大学院は出ていないの?」と馬鹿にされる時代が来るのではないかと、私は内心思っています。

大学の卒業生
写真=iStock.com/Rattankun Thongbun
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急速に高学歴化するアジアの国々

現にアメリカはすでにそのような状況です。普通の会社員の間でも、「マスターズ・ディグリー(大学院修士課程修了で得られる学位)を持っていないの?」といった会話が、日常的にされています。日本で大学院卒というと、何か専門的な学問の研究者といったイメージがありますが、アメリカではごく一般的な会社員や高校教師なども大学院を出ているのが当たり前なのです。

この現象は中国でも見られるようです。大学院の修士号や博士号を持っていると組織内の出世でプラスになるからと、日本に駐在で働く中国の方が3〜5年の駐在期間のうちに大学院で学ぶといった話もよく耳にします。アジアの国々は急速に高学歴化しています。

彼らには「大学院を出ておくことが出世につながるから勉強しよう」という意欲があるのです。それに比べて、日本では大学院を出ていたとしても一般企業ではほとんど評価されません。これでは、他国より教育水準が下がってしまうのも仕方がないとしかいえません。

といっても、教育水準の低下は、日本の大学にも責任の一端があります。大学院は、もっと社会人にも入りやすく、勉強しやすいものにするべきなのです。