「BPOの見解」が人気番組の命運を握る現状

BPOのホームページにはこう書いてある。

「放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理の問題に対応する、第三者の機関です。主に、視聴者などから問題があると指摘された番組・放送を検証して、放送界全体、あるいは特定の局に意見や見解を伝え、一般にも公表し、放送界の自律と放送の質の向上を促します」

「BPOはNHKと民放連によって設置された第三者機関です」

つまり、BPOは本来「テレビの表現の自由を確保し、不当な介入を受けないようにするためにNHKと民放連が作った機関」だ。視聴者からの苦情や放送倫理の問題について「第三者」が意見や見解を出すことで、視聴者の基本的人権を守り、放送局はその意見や見解に基づいて、問題に自主的に対応するのだ。

しかし、いまやBPOは実質的に放送業界の「思想警察」になってしまったと言える。「BPOが審議に入った」というだけで、制作現場は恐れおののく。「BPOの見解」は絶対的なもので、その内容によって簡単に番組は終了する。

いったいBPOの何が「放送における言論・表現の自由を確保」しているというのか。むしろ言論統制機関ではないのか、と現場に捉えられてしまっている。その「BPOのあり方」と「あまりにBPOの見解を忖度そんたくし、重く受け止め過ぎている放送局の姿勢」に問題はありはしないのだろうか。

可視化されるクレーム、敏感さを増すBPO

前出のバラエティー番組プロデューサーはこう指摘する。

「SNSの発達で一部の過剰なクレームが可視化されやすくなって、BPOがそれを無視できなくなっているように思います。特にいくつかある委員会のうち人権擁護委員会がかなり『視聴者の苦情寄り』なので、本来の設立コンセプトを離れて現場を規制する方向に進んでしまっている実感はありますね」

この指摘のように、SNSなどにより誰もが情報を発信できる現在、ネット上にはテレビに対するさまざまな感想が即座に投稿される。そうしたネットの声と現場はただでさえ日常的に向き合い、対応を余儀なくされている。そして、疲弊している。価値観の多様化や変化も著しい。

世論調査やアンケート
写真=iStock.com/Tero Vesalainen
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問題のある内容の番組が制作されてしまうことも、残念ながらままある。そんな時に「その番組のどこが問題だったか」を有識者たちが分析し、見解を出すのがBPOなのだろう。……と考えると、先日の「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーについての見解」の大きな問題が見えてくると私は思う。

そう、実はこの見解には対象となる「具体的な問題番組」がないのだ。