文壇の大御所や有名人などによる孤独礼賛ビジネス

そうした世界の趨勢とは逆行するように、日本では、「孤独」を美徳とする風潮が非常に根強い。書店に行けば、「孤独の力」「極上の孤独」「孤独をたのしむ力」など「孤独万歳本」ばかりが無数に並び、全力で「孤独」を肯定している。孤独に耐えられる人が一流で、耐えられない人は三流だと言わんばかりの論調だ。

実際に、筆者が「孤独のリスク」について記事を書くと、「一人の何が悪い」「人は一人で生きていくものだ」「余計なお世話だ」といったコメントがずらっと並ぶ。

これはなぜか。

まず、「孤独」と言う言葉に2面性があることだ。英語では、一人でポジティブな時間を過ごすSolitudeと寂しく不安なlonelinessが区別されているが、日本語では、双方を孤独と呼んでおり、そこが混同されやすい。もう一つは、同調圧力の強い日本では群れないことへの憧憬が強く、孤独=自立・独立・孤高である、と考えられやすいことが挙げられる。

男性の背中
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本来、孤独の「孤」は「みなしご」を意味し、孤児のように頼る人がいなく、寂しい内観を指す言葉だ。一人で楽しいsolitudeの「個独」とは違うし、「自立・独立」とも「ソロ」「お一人様」とも異なる。家族がいても「孤独」な人はいるし、単身でも「孤独」を感じない人もいるだろう。

文壇の大御所や有名人が次々と、「孤独」礼賛本を書くのは、実際に、日本に寄る辺のない孤独感を抱え、その寂しさを紛らわせたいという人が多く、本が売れるという理由もあるだろう。「一人」や「自立」といった言葉ではなく、あえて、感情を揺さぶる「孤独」という言葉を使い、そうした不安は気の持ちようで解消できる、と説く。まさに人の不安に付け込む「孤独ビジネス」だ。

しかし「孤独万歳」とうたい上げる彼ら自身は、常に「信者」に取り囲まれ、「作家は一人では歩けない」「人の賞賛を餌にして生きている」「一人でご飯を食べるのが嫌い」などとエッセーやインタビューでは語っているのである。

虐待やいじめを受ける子供、宗教二世、引きこもり、貧困にあえぐ人たち……。そんな絶望的な孤独があふれるこの日本で、「人に頼るな」「一人で強く生きていけ」という誤解をさせる孤独ビジネスは実に罪深い。