前広島市長の秋葉忠利さんは、MIT留学時代に大前研一さんのルームメイトだった。ある激しい雨の夜、秋葉さんは大前さんの一心不乱な姿に心を打たれたという。まるで昨日のことのように「静かな感動が押し寄せてきた」と語る秋葉さん。同じ時間を共に過ごした友だけが語り得る、ボストンでの青春の日々。
そういう日本人は私と「KEN」ぐらい
大前氏と初めて会ったのはいつだったか、あまり記憶が定かではないのですが、MITの日本人会だったと思います。
当時、MITには50人くらいの日本人がいました。アンダーグラデュエイト(大学の学部生)が1人か2人、それからスローンスクール(MITのビジネススクール)にも数人いて、あとはほとんど大学院の学生です。50人といっても、ソーシャルな場に出てこない人もいるから、廊下で出くわしたり、行きつけのカフェテリアや日本食レストランで見かけたりして、よく顔を合わせる日本人は20~30人というところでした。
だから1~2週間もすれば、顔ぶれは大体わかるようになってくる。それでなくても大前氏は目立ちますからね。
日本人会の会合は年に何回かあって、9月、10月くらいに新入生の歓迎会が開かれるのですが、最初に会ったのはそこだったかもしれません。多分、大前氏は私より1年早くMITに入っていたと思います。
歓迎会といっても先輩後輩という意識はあまりなくて、それぞれの学科で自分が勉強しているところに新しい仲間ができたという雰囲気です。「あそこの店が美味しい」とか「そこに止めておくと駐車違反になる」というような知識は“先達”から教えてもらうわけですが。
私はMITに来ている日本人学生が大きく2つのグループに分かれていることにすぐに気付きました。ひとつは日本語でよく話をしている人たちのグループです。皆、研究者だったり、日本企業から送り込まれてきたりするので英語は話せます。それでもボキャブラリーの問題はあるし、他愛ない日常会話までずっと英語で話をしているとストレスが溜まってくる。だから日本人同士、日本語で話しているほうがずっと楽というのは事実です。
もうひとつは、誰とでも英語で話して交友関係を広げていくグループで、私も大前氏もそちらに属していました。だから大前氏と仲良くなったのは、ある意味で、自然な成り行きだったように思います。
日本人会とは関係ないネットワークでも、「君はどこから来ているの? 日本人か。じゃあKENは知っている?」「よく知っているよ」「そうか、じゃあ今度のパーティに一緒に来いよ」みたいに会話が広がって共通の友達がどんどんできるから、さらに仲良くなって……という感じでした。
私と大前氏は、大方は英語で話をしていたような気がします。そのときには互いのことを「KEN(研一)」「TAD(忠利)」と呼び合っていました。