組織の中で筋を通す男

筆者は生前の前田仁に取材したことがあるが、特に「2代目のビアホール・ハートランド」(六本木ヒルズ内にあった)が発表された時の取材が記憶に残っている。

店内で複数のキリン関係者と立ち話になった時、ある幹部の発言に対し前田仁は、チクリと反対意見を投げかけたのだ。

和やかやかだった場の空気は、一瞬にして変わる。

前田から反対意見を投げられたのは、年上の役員だったが、前田(当時はまだ部長)は気にするそぶりも見せなかった。

しまいにはニヤニヤしながら、「永井サン、偉くなると(人は)言うことが変わるのですよ」と、役員の目の前で、外部の人間である筆者に話しかけてきたのだ。

役員は決まり悪そうな表情を見せ、むしろ筆者のほうがハラハラしたのを記憶している。

「仕事をする上で、偉い人に何か言われようとも、簡単に譲ってはならない一線があるものです。ただ実際には、組織の中で、上司に反対してまで、筋を通してくれる人はほとんどいません。前田さんはその数少ない例外でした」(しりあがり氏)

「宣伝してたくさん売る」を否定

前田仁氏としりあがり寿氏が関わったビール「ハートランド」は、当時としては極めて斬新な商品だった。

ハートランドの瓶。右は発売当時の瓶で、現在のものと異なり、手触りがボコボコとしている
撮影=豊島望 写真提供=キリンホールディングス
ハートランドの瓶。右は発売当時の瓶で、現在のものと異なり、手触りがボコボコとしている

その頃のキリンビールは、ビール市場で約6割ものシェアを持っていた。

そのため、目先の売り上げ拡大よりも、独占禁止法に抵触して会社が分割されることのほうが現実的な脅威だった。

そこで、前田仁をはじめとする開発チームが考えたのが、「数を売ることを目指さない、質を追及するビール」という方向性だった。

「ビールを造るというより、ブランドを作ることを意識していました。大手4社が、まるで麻雀でも打っているみたいに、それぞれの看板ブランドを持って、互いに取ったり取られたりしているのが日本のビール業界です。そこで、4社の看板商品に加えて、もう一つ新しいブランドを作ろうと考えたのです。つまり、4人ではなく、5人のゲームにしてしまおうと。そのうち2つがキリンの商品なら、今後もキリンは強いだろうという戦略でした。そうやって新しいブランドを作るために、キリンというブランドをあえて表に出さず造ったのが、ハートランドでした」(しりあがり氏)

「ハートランド」のコンセプトは「素(そ・もと)=もの本来の価値の発見」というものだった。