自分を錯覚した“おじさん”たち
若手だけではなく、同世代のシニア社員たちの中にも、
「“オレ様”社員の配慮に欠けた言動は、百害あって一利なし」
「追い出し部屋を作りたくなる気持ちもわかる」
と嘆く人は少なくない。
日本経済が右肩上がりだった時代に生まれた“会社員”たちは、若いときから自分のサラリーでは行けないような場所で、“接待”という甘美な経験をしたり、滅多に接することができない大物と会えたり、名刺を出すだけで、下請け会社の年上の社長さんや部長さんから、「うちの商品よろしくお願いしますよ」などと頭を下げられた人たちである。
自分が「何者かであるかのような錯覚」に陥ったとしても、いたしかたない。
本当は孤独で、アウェーに弱いんです…
しかし、普通はある程度年齢を重ね、自分を客観的に見られるようになると、勘違いに気づく。
が、つい、本当につい、過去の属性に身を委ねると、どっぷりと、どこまでもどっぷりと、とことん属性の底なし沼にハマっていくことも。
小さなプライドを守るために自慢話ばかりしてしまったり、本当はがんばりたいのに、何を、どうしたいいのかがわからず、不機嫌な態度をとってしまったり。
会社という組織に長年身を置いていると、他者との競争心だけにとらわれがちなので、自己を見つめるという単純な作業が難しくなる。
また、アウェーに弱い“おじさん会社員”ほど、自分から話しかけるのもめんどうくさいので孤立し、孤独感に苛まれ、切ない末路を余儀なくされてしまうのだ。
シニアだけが持つ「2つの暗黙知」
とはいえ、目に見える仕事だけが仕事ではないし、50代に冷ややかなまなざしを注ぐ若手にはない力が、シニアにはある。それは、体を通じて蓄積した「暗黙知(tacit knowledge)」だ。
人間が習得する知識は、大きく2つに分けることができる。
1つは、視覚または聴覚を通じて習得する知識で、これは「情報知」と呼ばれている。2つ目が自分の感覚を通じ実際に体験して習得する「経験知(身体知)」だ。