幼稚園のときに買ったオセロゲームの裏が将棋盤だった。札幌市内の道場で腕を上げ、小学生名人となった直後に一度だけプロ試験を受けた(不合格)。明治大学では将棋部主将としてリーダーシップを取り、学生名人と団体戦日本一も経験した。
最近こそ残業規制が厳しいが、帰宅はしばしば遅くなる。平日はほとんど将棋はできない。ネット将棋もまず指さない。今は月500円でプロの棋譜が手に入るから、自分の得意戦法を選んで並べる。「空いた時間でいかに効率よくやるか」(清水上)が勝負だ。こうして、2009年は朝日杯オープンで何とプロに4連勝、自身の目標だったアマ初の一次予選突破という快挙を成し遂げた。
勝ち負けとは別の楽しさを満喫中
脱サラ・プロ入りは考えないのか。日本将棋連盟の年齢規定を覆し、2005年に異例のプロ入りを果たした瀬川晶司四段(40歳)は、同社将棋部の元チームメートだ。が、
「プロ入りは考えていません。朝日の一次突破は奇跡みたいなもの。今勝てるのは、学生時代の貯金です」
将棋が縁で小学生の頃から全国に友人ができた。アメリカや台湾の将棋連盟の支部にも遊びに行く。今、清水上の将棋への関わりは、勝ち負けとは少し別のところにあるようだ。週末は子どもたちに駒落ちのハンディをつけて将棋を教えている。楽しいですよ、と顔がほころぶ。
「将棋はアイデンティティ。趣味は持つだけでもいいものですが、幸い結果も残せた。同時に、面白い仕事にも携われた僕は相当恵まれている、と最近実感するようになりました」
特技を糧に、仕事と正面から取り組む姿は清々しい。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時
(小原孝博=撮影)