「カーナビ=画面」の常識を自ら破壊する

パイオニアが業界に先駆けカーナビを市販したのは1990年夏。それ以来、地図を映す画面はカーナビにはなくてはならないものだった。「交差点を左です」「直進です」「この先に踏切があります」などと音声で教えてはくれるものの、画面上に地図があることを前提にしていた。

「カーナビ=画面」。それがこの30年余に凝り固まった常識だった。その常識をパイオニア自身が壊そうとしているのだ。

NP1の「NP」は、Next Product、Next PlatformとNext Pioneerから取っている。次世代の商品であり、カーナビを支える次世代のプラットフォームを築き、その先には新生パイオニアの姿があるという思いを込めている。

1938年に創業したパイオニアは1960年代後半から70年代のオーディオ全盛期のころには山水電気(サンスイ、2014年破綻)、トリオ(現JVCケンウッド)と並ぶオーディオ御三家と呼ばれた。その後もレーザーディスクやプラズマテレビで気を吐いた時代もあったが、2010年以降は競争が激化した家庭用オーディオからカーエレクトロニクス事業へと重心を移していく。

だがカーエレクトロニクス事業もこの10年は国内需要が伸びず、業績は振るわなかった。2019年3月には香港のプライベートエクイティ(PE)ファンドの完全子会社となり、非上場会社として再建の道を歩み始めた。

社員の多くは「パイオニア愛」を持っている

再建の陣頭指揮を任されたのが矢原史朗社長だ。大卒後、1986年に伊藤忠商事に入り、その後はGEや外資系PEファンドで投資先2社の社長を務めた後、産業ガス大手の日本エア・リキード社長となる。いわゆる「プロ経営者」として2020年1月、パイオニアの社長に転じた。

パイオニアの矢原社長
撮影=プレジデントオンライン編集部
パイオニアの矢原史朗社長。2020年1月から同社を率いている。

社長就任時に矢原氏が抱いていたパイオニアの印象は「世界初の技術がいろいろあるポジティブなエンジニア集団」というものだった。同時にパイオニアの欠点にも気がついた。

「新しいアイデアや技術はあるのにそれをビジネスとしてマネタイズするマネジメント力がない。いい意味で、いわば大学のサークルっぽい会社だな」

夢や潜在能力はあるのだが、それを実現する力を持っていなかったのだ。普通なら外から突然、新社長としてやってきた矢原社長を警戒し、様子見を決め込むことが多そうだが、パイオニアは少し違っていた。社員たちもマネタイズする力がないのを知っていたのかもしれない。「よく来てくれた、という感じだったんです」と矢原社長は振り返る。

社長に就任した2020年1月以降、会社再建に向けた中期経営計画づくりのために全部門から100人以上の中堅社員を集め、新生パイオニアは何を目指すべきかの議論を始めた。「パイオニア愛」を持っている社員が多いと感じていた矢原社長は彼らのやる気に期待をかけたのだ。

画面の大きさやスペックを競ってもいずれ行き詰まる…

矢原社長の就任前からパイオニアには「今後はデータソリューションを伸ばす」という経営方針はあった。手本にしたのはアップルのビジネスモデルだった。