しかし、バイデン政権は、「ウクライナ現政権の主権と領土的一体性を守る」という立場のみからゼレンスキー政権を全面支持した。プーチンがミンスク合意実現の可能性なしと思ったことには、それなりの理由があったといわねばならない。
その結果、2月21日プーチン大統領は、安全保障会議を開き、ドンバスの2つの「共和国」(「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」)の独立を承認。両共和国との間に「友好相互援助条約」を締結した。さて、このニュースを聞いた時に筆者は、おそらくかなりの人たちと一緒に「なるほど。これでドンバス問題はかたがついた。これからしばらくの間、NATOの東方拡大の問題について交渉が始まり、そこから何らかの合意が生まれることを期待しよう」と思ったのである。
「今しかなかった」と語ったプーチンの真意
しかしプーチンの判断はまったく逆であり、ロシア軍の全面侵攻が2月24日に始まった。この間わずかに3日、ドンバス両共和国承認と同時にウクライナ侵攻を決めたのではないかと考えてもおかしくはない。一体なぜだろうか。既述のように、ようやく最近になって、筆者もその原因を理解できるようになったと思う。
ドネツク・ルハンスク人民共和国を独立国家として承認することは、ウクライナのNATO加盟への道を開きかねないことを、プーチンは最初から自覚していたのではないか。
分かりやすく言えば、もしもゼレンスキーに天才的な知恵があり、2月21日の翌日にでも、新たに成立したドンバス両人民共和国を国家承認したら何が起きるか。ロシアとウクライナの双方から承認された両人民共和国は国際法上安定した基礎をもつのみならず、残ったウクライナという国の民族的矛盾がほとんどなくなってしまうではないか。
NATOの内規に基づく「民族紛争」がなくなれば、ウクライナのNATO加盟を妨げる要因はなくなる。ウクライナ攻撃を命じたプーチンが「今しかなかった」と述べていたことが筆者にはとても印象的だった。しばらく分からなかったその意味が、今はなにがしか分かる気がするのである。
停戦にはプーチンの内的論理を知る必要がある
2月24日以降、世界は戦争のパラダイムに入ってしまった。一度始まった戦争を止めるのは本当に大変なことである。ゼレンスキーの下でまとまりを強めているウクライナ国民は、徹底抗戦の構えをとっている。アメリカを含むNATO諸国は自ら戦いには参加しないが、ウクライナに武器供与を行い、打倒プーチンに向かって結束行動をとり始めた。まずは「かつてない強烈な制裁をかける」ために共同行動をとり、ウクライナ戦争後には、ロシアを敵国とした新欧州安保制度創設の模索が始まったようである。