長いロシア外交の中で最も大きな衝撃だった

2022年2月24日は世界を変えた。私の周りの世界も変わった。思えば筆者は、55年間ロシアとのお付き合いをしてきた。しかし、今回ほど大きな衝撃を感じたことはない。様相が変わった世界の中に、戦争が堂々と席をしめてしまったことは、許しがたいと思う。世界の多くの国が批判の声を上げているのは、当然のことだと思うし、この戦争は一刻も早くやめなければいけないと真底考える。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(ロシア・モスクワ)2022年3月5日撮影
写真=EPA/時事通信フォト
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(ロシア・モスクワ)2022年3月5日撮影

戦争をやめさせるために、いま米欧NATO等西側諸国は、①ウクライナに対する武器供与はじめ物心両面での支援の拡大、②「これまでロシアが経験したことのない大規模な制裁の実施」③リベラルデモクラシー諸国を中核としてできるだけ多くの国による国際的なプーチン批判、を三本柱として、プーチン政権への圧力を極大化してきた。

なぜ侵攻は「2月24日」だったのか

日本政府もその先頭を走っているし、このやり方は一定の成果を上げているようである。しかし、一刻もはやくウクライナ全面戦争をやめさせるためには、なぜプーチンが2月24日に全面戦争にふみこんだのか、その戦争目的を知らなくてはいけないと思う。目的を分かってのみ、一刻も早い停戦実現の可能性が生まれてくるのではないか。

昨年の12月ごろからウクライナ周辺でロシア軍が大規模演習を始めたころから、ロシアの目的には、直近の目的と中長期的な目的があると分析された。直近の目的は、ドネツク・ルハンスク(略称ドンバス)の2つの州に住むロシア人の安全確保の問題だった。中長期的目的は、いわゆるNATOの東方拡大の問題、具体的には、ウクライナおよびジョージアをNATOには加盟させないという問題だった。

実はこの両者には密接な関係があり、今回世界を震撼しんかんさせたウクライナ全土への侵攻は、この2つの密接な関連の中から生まれたことが、最近筆者にも分かってきた。

問題は「クリミア半島奪取」から始まっていた

どうしてドンバスのロシア人居住区の問題がかくも重要な問題となったのか。話は、2014年2月のユーロ・マイダン(キエフにおける抗議運動)によって、ヤヌコーヴィチ大統領がキエフから放逐され、プーチンがこれをクリミア回復へのきっかけとした時点にさかのぼる。クリミアはロシア人にとって民族の記憶とアイデンティティが残る場所であり、国民投票と軍事力によりプーチンは、クリミアをとりもどしたのである。