宮崎駿監督は「めんどくさい」を連発しながら偉大な作品を構築
昔、江州の商人と他国の商人が、二人で一緒に碓氷の峠道を登っていた。焼けつくような暑さの中、重い商品を山ほど背負って険しい坂を登っていくのは、本当に苦しいことだった。
途中、木陰に荷物を下ろして休んでいると、他国の商人が汗を拭きながら嘆いた。「本当にこの山がもう少し低いといいんですがね。世渡りの稼業に楽なことはございません。だけど、こうも険しい坂を登るんでは、いっそ行商をやめて、帰ってしまいたくなりますよ」
これを聞いた江州の商人はにっこりと笑って、こう言った。
「同じ坂を、同じぐらいの荷物を背負って登るんです。あなたがつらいのも、私がつらいのも同じことです。このとおり、息もはずめば、汗も流れます。だけど、私はこの碓氷の山が、もっともっと、いや十倍も高くなってくれれば有難いと思います。そうすれば、たいていの商人はみな、中途で帰るでしょう。そのときこそ私は一人で山の彼方へ行って、思うさま商売をしてみたいと思います。碓氷の山がまだまだ高くないのが、私には残念ですよ」
「めんどくさい」が仕事のやりがい
どんな仕事にも、その仕事特有の苦労がある。
二人の商人の苦労は、普通の人ならば体一つで登るだけでも大変な山道を、重い荷物を担いで運ぶことである。誰でもできる仕事ではあるまい。筋力や体力はもちろんのこと、忍耐力も必要だろう。仕事特有の苦労は、ある種の参入障壁になる。つまり、その仕事に新たに就きたいと思う人を思いとどまらせるのだ。
世の中には、「手間ひまがかかってめんどくさいわりにはお金が儲からない」という仕事は多い。確かに、それはその仕事のデメリットである。しかし、それは同時に参入障壁にもなっている。
先日、「〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉宮崎駿スペシャル〈風立ちぬ 一〇〇〇日の記録〉」という番組の再放送を見た。この中で、宮崎が何度も発する言葉に私は衝撃を受けた。それは「めんどくさい」という言葉だ。「え、宮崎駿でも、めんどくさいって思うんだ」。私は驚いた。私は、宮崎駿レベルのクリエーターであれば、めんどくさいとは無縁だと思っていた。しかし、違っていた。
「めんどくさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」「大事なものは、たいていめんどくさい」「めんどくさくないとこで生きてると、めんどくさいのはうらやましいなと思うんです」。めんどくさいの連発である。
私は思った。みんな多かれ少なかれ「めんどくさい」という気持ちと戦いながら仕事をしている。「めんどくさいが仕事のやりがいを生んでいる」と考えてはどうだろうか。