医療者は自分を犠牲にして病気の人に捧げる覚悟が必要

そしてコロナでも第4波から、各病院の救命救急センター長がオンライン会議に出席し、入院待ちの患者受け入れを話し合っているという。

東上総長は「基本になるのは病院の個々の力であり、結局は医療者の心」と話す。

「コロナと、一般の医療をどう両立させるかというと、隔離処置(ゾーニング)する場所が必要なんです。でも言い換えればある程度の広さがあって、医者の頭数があれば断らずに受け入れられますよ。関東で妊婦さんのたらい回しや、自宅で亡くなっていく人たちが報道されましたが、僕らが東京で診てあげたいと思いました。医療人の最低限の心さえあれば、そんな恐ろしいことは起こらへんはずでしょう」

徳洲会全体を「アスリート集団」に東上総長はたとえる。普段のトレーニングがなければ、鍛えていなければ、ここぞという時に瞬発力がでない。自分たちに快適な時間割で患者数を決めているような医療施設では、社会危機に対応できるはずはない、と強調するのだった。

「僕らは医療者という職業を“選択”したんです。好き好んでやっているんです。嫌やったら、やめればいいでしょう。医療者になった限りは自分を犠牲にして病気の人に捧げる覚悟が必要です。コロナ治療においては、患者を診ること。四の五の言って診ないのはあかん。とにかく診る」

国は「合法的に医療機関が横を向ける体制」を作った

しかし残念ながら、今日まで徳洲会以上にコロナに立ち向かう病院はなかったと私は思う。

大きな要因として新型コロナが、保健所を通して入院勧告や隔離、就業制限を行い、濃厚接触者や感染経路の調査が必要な「2類相当」に位置することにある。すべてを保健所が仕切る。つまり「保健所の管轄下」にあり、患者側が直接「医療機関とつながる」ことができない。そのため発症から治療までタイムラグが生じ、手遅れになって重症化する人、在宅で放置されて死亡する人、入院したくても受け入れ先が決まらない……などの問題が起きた。今、現場では保健所を介さずコロナ患者を受け入れざるを得ない状況になりつつあるが、しかし一方で2類であるがために「患者を受け入れなくても済む」言い訳も生まれやすい。

月刊『Hanada』(2022年1月号)
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「私の知人でもコロナに感染しましたが、保健所の人に自宅にいなさい、と。しかし38度の熱がずっと続く。悪くなるまで様子を見ていてくださいって、そんな恐ろしい治療方針がありますか。軽症→中等症→重症と、徐々に進行していくんですよ。軽症の段階ですばやく治療を開始しなければならないのに、行政の管理では無理。それに行政が介入するなら、指示待ちでいいか、となる医療機関も多いでしょう。言ってみれば国は『合法的に医療機関が横を向ける体制』を作ってしまった」(東上総長)

新型コロナが発生してからの2年間は、医者とは医療とはなぜあるのか、を突きつけられた時間だったと思う。

<生命だけは平等だ>

医師に弟の命を見捨てられ、幼き日の徳田虎雄氏が涙を流した。

診療拒否をした医師、幽霊病床をもった医療機関、医療逼迫の危機を叫び続ける医師会や分科会は「断らない医療」を実践する徳洲会から今こそ学ぶべきではないか。

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