仕事では大きな宝石をつけ、立派な毛皮やゴージャスなスーツを着てましたが、家では面倒くさいと言って、質素な格好でした。穴の開いた洋服も繕って着ていたぐらいですし、私がティッシュを2、3枚取ったりすると、「昔はティッシュで鼻をかむような贅沢はできなかったよ」と言われたりしました。

みなさんからは派手に見え、食事などは豪華な外食をイメージするでしょうが、私たち家族の分まで母は手料理を作ってくれ、家事もしていました。食べ物は粗末にしない人で、食事に行って残したときにはテイクアウトをして、翌日に食べていました。

母が六星占術を編み出す前は、銀座のクラブのママなど水商売で生計を立てていました。軌道に乗っている時期もありましたが、ときには人に騙されたり、裏切られたりして負債を抱えて辛酸をなめたこともあります。その経験が、六星占術の生まれた背景でもあります。

母は、金儲けをしようと思って占いを始めたわけではありません。誰もが裸で生まれてくるのに、なぜ人の人生はこれほどまでにさまざまになるのか。それを研究して生まれたのが、六星占術です。運気のリズムを知ることで、人生の危機を回避することができるのではないか。人の助けになったり、幸せにすることができるのではないかと考えたのです。

社会に大切な子孫繁栄、中学2年で見合い話

借金についても、どんな試練であろうと逃げることなく誠意を持って対処すれば、お金はあとからついてくる。目先の金勘定だけでビジネスを始めてはいけない。1人で儲けることはせずに、仕事に関わった人が一緒に儲かるようにしなければならない。そうすることによって、自分にあとあと返ってくることにもなる、といましめていました。

母は晩年は丸くなってきましたが、昔から「曲がったことは大嫌い」な性格で、子ども相手だとしても礼儀や教育についてはとにかくスパルタでした。甥っ子、姪っ子たちからは「怖いおばちゃん」と思われていて、あまりの厳しさから煙たい存在でしたが、その中で私は姪ながら「ばあば、ばあば」と懐いていました。

一時期は一緒に暮らしていたこともあって母も私を溺愛してくれ、3歳のときに養女に迎えようとしたくらいです。そのときは実母が断ったことで実現しませんでしたが、「伯母と姪」の関係から、実際に「細木数子の娘」となったのは2016年に、正式に養子縁組をしてからです。

「女性の幸せは結婚して家庭を築くこと」と考えていた母に、私は中学2年生にして、いきなり倍以上も年齢の離れた29歳の男性とお見合いをさせられました。もちろん断りましたが、何度もお見合いを持ちかけられ、19歳のときに結婚しました。

母は、「社会にとって子孫繁栄は大切なこと。子どもがいない人は別の形で世に貢献し、親は子を持つことで愛や知恵を育み、子はそのような親の姿を見ることで親だけでなく目上の人を敬愛し、兄弟姉妹への思いやりを持つようになる」という考えでした。少子化の今だからこそ、家族を大切にし、「当たり前の幸せ」に気がつくべきだとずっと説いてきたのです。