クリスマスにフライドチキンを食べるのは日本だけ
――「クリスマスにフライドチキン」を広げたのは大河原CEOだそうですね。
オープン当初、たまたま店の近くのミッション系の幼稚園から、「クリスマスにフライドチキンを買ってパーティーをしたいので、サンタ役をやってくれませんか」と言われたのです。当時は売上も苦戦していたので、大歓迎でサンタクロースに扮装して、フライドチキンのバーレルを抱えて教室内を踊り歩きました。
それが評判になって、あるときテレビのインタビューを受けたのです。そこで、「アメリカではクリスマスにチキンを食べるのか」と聞かれたので、本当はターキー(七面鳥)と知っていたのですが、つい「はい」と答えてしまって。それからです、日本では「クリスマスにはケンタッキーのフライドチキン」となったのは。
日本1号店は名古屋、「ジャスコの駐車場」が原点
――よくある企業のマーケティング戦略が大成功したのですね。それで、ケンタッキー・フライド・チキンが一気に広まったんでしょうか。
最初は本当に大変でした。1970年11月23日に、日本の1号店をオープンしました。ジャスコさん(当時)が名古屋の西区に郊外型のショッピングセンターをつくるということで、そこの駐車場にプレハブでの店舗がスタートでした。
名古屋といえば鶏の本場だから、さぞかし売れるだろうと思って期待していた。当日も、オープンするとわーって人が店を取り囲んだから、これはすごいぞと、どんどん鶏を調理しはじめたら、鶏ができたころには誰もいない。
名古屋では、お祝いの花が出ると、みんなそれをもらいに来るんです。それで花だけもらって、店には入らずにそのまま帰っていってしまったという、苦い思い出です。
赤と白の三角屋根の店で、お客さんは何を売っているのかもわからない。フライドチキン自体馴染みがなかったのでしょうね。それからはもう売れなくて塗炭の苦しみです。1年ちょっとで閉店しました。ですから私は日本で最初にKFCを開けた店長でもあるし、最初に閉めた店長でもある。