戦争に始まって戦争に終わった青春時代

冒頭の言葉の通り、榮子さんの青春時代は「戦争に始まって戦争に終わった」と言っても過言ではない。高等女学校に入学した翌年の1937年(昭和12年)、盧溝橋事件が勃発して日中戦争が始まる。そして1941年(昭和16年)、東京薬専に入学した年の12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して、いわゆる太平洋戦争が始まった。

比留間榮子さん
撮影=市来朋久

「中国で戦争が始まっても国内では弾の音ひとつしなかったし、北京陥落、上海陥落、南京陥落なんて情報ばっかりでした。ちょうちん行列、旗行列、花電車が通って、みんな万歳、万歳って騒いでいましたね。昭和19年の終わりごろからB29がしじゅう日本の空を偵察に来るようになって、私、19年に薬専を卒業したんですが、空襲警報のサイレンが鳴って大変な騒ぎでした」

東京が本格的な空襲に見舞われたのは、翌、昭和20年の3月10日であり、以降、4月13日、15日、5月24日、25~26日と5回にわたる大規模な空襲を受けて、市街地の半分以上が灰燼に帰した。榮子さんは、10万人以上の死者を出した3月10日の「下町空襲」のわずか2日前に、父の郷里である長野に疎開している。

「信州に着いて、夜、何気なく空を見ていたら東の方が真っ赤だったんです。東京と長野はずいぶん距離があるから、まさか東京が燃えているとは思いませんでした。なんで空の色があんなにきれいなんだろうと思って……。それから何カ月かして、日本は負けたんです」

池袋から海が見えた

薬局を再開するため父とともに東京へ戻ってきたのは、敗戦の2年後だった。

>比留間榮子『時間はくすり』(サンマーク出版)
比留間榮子『時間はくすり』(サンマーク出版)には、榮子さんが大切にしている人生のポリシーがつづられる。

「東日本大震災のときは、がれきがすごかったでしょう。でも、東京は焼夷弾できれいに焼けてしまったんで、震災みたいながれきはあまり残っていませんでした。嘘みたいな本当の話なんだけど、池袋から海が見えたんですよ。焼け残ったコンクリートのビルがちょんちょんと建っていましたけれど、水平線が見えたんです」

榮子さんは、戦争を通して命の尊さを知った。だから、人の命を守る薬剤師という仕事を、命がけで続けてきたのではないか?

「戦争と命ですか……。焼夷弾が落ちてくれば、その時は怖いも何もなくてね、大勢の人が波のようにバラバラと逃げていくその後を、ただついて行くだけでした。とにかく、戦争ほど重大な出来事はないというのが一番のことですよ」

戦争経験と人命を守る仕事への執念を結びつけたいと思ったが、榮子さんはそんな短絡には乗ってくれなかった。