兄弟3人で介護、「ニート」と自虐

それから1年後、弟も学校を卒業し実家に戻って来た。姉、私、弟で家事と介護を分担。そしてヘルパーさん。私たち兄弟はみんな外で仕事をしていないことを「ニートやねん」と自虐めいて話していた。

そこから2年ほどして、私が隣にいる時に母は脳出血を起こした。さっきまでDSで遊んでいたのに、急に大きないびきをかいて眠り出し、どれだけ声をかけても全く起きない。すぐに救急車に連絡をして病院へ運んでもらったが、母はその日から寝たきりになり、しゃべることもできなくなり、気管切開をされ、そして胃ろうの処置もした。

急に話すことも食べることも起き上がることもできなくなった母。どれだけ心細く、どれだけ辛く、どれだけ葛藤があるのか。私は一緒にいた自分の行動に落ち度はなかったか、責める日々がスタートした。

医師に話を聞きにゆき、私たち3人はその場で「病院ではなく自宅介護をする」と選択した。これまでもそうしてきたし、手術後、病院で寝ているもの言えぬ母の頭に円形脱毛症ができていたのを見つけたこと、母を残して病室をさる時の母の悲しそうな目、私たちのあの気持ち。そうやって自分たちで選んだ。20代でなかなか割り切れないだろう。たんの吸引も、体位交換も、胃ろうに食事を注入するのも、導尿も、摘便も、自分たちでできるよう看護師さんに習った。

その後、ヘルパーさんが来てくれる時間が更に大幅に増え、本当にお世話になりながら今に至る。

待合室
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すべてを話せる理解者がほしかった

これらの全てのタイミングで「私の気持ちを話して良い理解者がいたなら」と今になって思う。当時の私は苦しみを両手に途方にくれ、好きな人にそれをぶつけるという幼稚な方法でしか発露できなかった。姉も弟も話はできるが共にケアラーであり、混乱していた。私が「しんどい」と言える相手。そして適切にどうすれば良いか助言をくれる人。

ケアマネさんには母のことは相談できるけど、ケアラーである私の悩みは相談できない。母の方が辛いのに、五体満足の私が辛いとか逃げたいとか言っちゃダメだと思っていた。母のことが好きなのは本当で、介護で得られる喜びがあるのも本当だけど、それと並行して「辛い」もある。でもそれを言うと「心のない子ども」と思われるのが怖かった。「しんどくない?」「将来はどうしたい?」「こんな選択肢もあるよ」そう、相談できる相手。

そもそもケアの前に「お母さんが難病になってとても悲しい」という気持ちですら折り合いがついていなかった。兄弟やパートナーがいない人だったら、さらに追い詰められたのではないだろうか。更に言えば、介護する相手にこれまで傷つけられてきた人だったらどうだろう。