共通一次前の大学入試は、奇問難問だらけだった

入試改革に立ちはだかる問題とは、もちろん試験の場のみの「公平さ」を問うものだけではない。たとえば、大学側の問題も大いにある。

第一に、日本の大学は歴史的に言えば、大学の自治を大切にしてきた。戦前の国粋主義の時代では、特定の思想(特に共産主義)を持った教授が政治の力によって解雇されるなどの歴史も経て、大学は時の政治権力からの指図から自由でありたいと思うようになっている。

また、「教授の任用・昇進なども自由に行うべき」といった方針から、教授会の自治を保持してきた。もちろん研究の自由、教育の自由を確保することも求め、入学試験も教授会、あるいは大学側がある程度、自由に行ってきた。

とはいえ、文部科学省らの意向をまったく無視して入試を実行してきたわけではなく、国家の文部行政の指示も受け入れてきた。たとえば、先程述べた「共通一次試験」の導入などは国からの指示に従ったと見なしてよいだろう。そのうえで、各大学が個別に行う二次試験は大学側の自由に任されていた。

なぜ共通一次試験が導入されたのかという理由を探れば、当時、各大学の出す問題に奇問・難問が増え続け、収拾がつかなくなっていたため、との見解が一般的だ。そこで全国から選ばれた教授が討議に討議を重ねて、良問づくりに励む体制をつくるべきでは、という意向が各所より高まり、共通一次の試験問題が生まれたのである。

クエスチョンマークが描かれたたくさんのブロックに囲まれた電球
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「どういう学生を入学させたいか」を考えてこなかった

では、なぜ奇問・難問が増え続けたのかといえば、入試問題の作成と採点を一部の教授だけに任せる体制にあったことがその要因として大きいと思われる。逆に、多くの教授は問題作成に関与しなかったのであろう。教授が順番で問題作成にコミットする大学もあっただろうが、自分の研究に忙しいからなどと理由をつけて、ほとんど入試問題作成から離れた立場にいたのである。

そうした体制のなかで、特に教授数が少ないような小規模の大学では、自分の専門と無関係の科目の出題を担当することもあったはずだ。本来、問題作成には国語、数学、英語、理科、社会に関係する学問の専攻者があたるべきだが、現実として、多くの大学教授はこれらの科目を専門にはしていない。入試そのものに関心がなくなるのも当然である。

このように考えてみると、つまるところ、入試問題に奇問・難問が増え続け、収拾がつかなくなった事態を招いたのは、それを作成する側に問題があったと言わざるをえない。加えて、自分のところで「どういう学生を入学させたいか」ということを本気で考える熱意が教授全般に薄く、入試を問題作成と採点、合格者決定を担当する入試委員会などに一任するところがあった。それでいて外部(たとえば高校、政治・経済界、マスコミ関係)の人からの意見や要望を聞いたり、社会情勢に合わせたりすることなく、一人よがりで入試を行っていたにすぎない。

要するに、教授側が「入試とはどうあるべきか」といったことにほとんど関心を払ってこなかったツケが今、回ってきているのである。