「緊急事態宣言」の視線
「緊急事態宣言を決断致しました」
この言葉を口にしたとき、菅義偉首相の視線は下のペーパーに向いていた。政治家、それも内閣総理大臣の決断は重い。なによりそのことを知っているからこそ、菅氏は正確を期すためにペーパーを読み続けたのであろう。
だが、質問時間を入れて50分余の中でこの瞬間こそ、視線を上に、国民に語りかけるべきではなかったか。そしてこの決断に至った経緯ではなく、決断した首相の心を国民に伝えるべきではなかったか。懸命な努力を信じないわけではない。しかしそれが国民に伝わるのかどうかという点で、疑問を持たざるを得ない。
同じメッセージを別の人物、たとえば事務方トップの官房副長官が読んだとして、何か不都合が生じたであろうか。
首相が緊急事態を宣言する。そこには、協力的ではなかった自治体への泣き言や、自身の行動を棚に上げたかのように見える若者への注意ではなく、大きく国民を包容し安心感を与え、しかも決然と自身の犠牲を顧みない姿勢があるべきではなかったか。
以下、最近の政権や政治家が発する言葉がなぜか頭に入ってこない、“つるっと滑っていく”理由と、そうならないために必要なことについて考えてみたい。
菅内閣の弱点
昨年末。菅義偉首相が、大人数での会食をしないよう国民に「お願い」しながら、自ら宴席に顔を出し、その後謝罪したことが大きく報道された。
私はこの出来事を知ったとき、だれも首相に「短時間でも今はおやめになった方がよいのでは」と言わなかったのか、と、そのことに驚いた。
「首相動静」を見ると、菅氏はよく議員会館の自分の事務所に立ち寄るが、歴代首相は首相現役時、これほど頻繁に事務所に顔を出していなかった気がする。杞憂であってほしいが、もしかしたら「なんでも自分が決める」マイクロマネージメントのために、周囲が思考停止に陥ってはいまいかと、危惧する。
いずれにしても、「どう見られるか」という視点を、首相も側近も考えが及ばないところにこの内閣の弱点が見える。
「正確にしゃべろう」という落とし穴
もう1つ、危惧すべきことがある。
内閣支持率はだいたい発足時が高く、その後下がっていく。それにしても、内閣発足時からわずか3カ月の間に、各種世論調査で20%前後も支持率が下落するのはあまりにも早い。
個々に見ればコロナ対策の不十分さ、与党議員の贈収賄事件などが挙げられようが、一因として政治家、とくに首相はじめ政権上層部の発する言葉の使い方が時おり指摘される。
もっとわかりやすく言えば、彼らの言葉が心に響かない、ということである。
首相がペーパーを見、顔を上げ、またペーパーを見、を繰り返すのは、より正しく発言しようとする思いからであろう。多忙な首相が専門用語や数字をまるごと覚えるのは至難である。
とはいうものの、官僚がつくったペーパー(むろん首相は事前に手を加えるが)を読むだけならば政府広報で十分である。なぜ指導者が自ら発表する必要があるのか、という点を考えなければならない。