「改革の火種」を絶やさず広げてゆく

上杉鷹山は藩政改革を進めるうえで、まず改革推進派の自己変革を求めました。そして米沢全藩士を巻き込み、情報の共有が必要だと説いた。何よりもまず風通しが良くなければ目的は達成できないと考えたからです。

営業推進本部長だったときに、お客様から省エネルギーについて相談を受けたことがあります。部下がどうすべきかと聞くので、積極的にやりなさい、と答えました。それに対して部下は、「そういうコンサルをすれば電気が売れなくなります」と心配したものです。

電力が少々売れなくなっても、お客様が元気になればその設備を増設し、また電気を使っていただける。お客様のニーズを近視眼的に捉えてはいけません。これも、上杉鷹山が改革の目的に挙げた「民富」と重なり合います。藩民が豊かにならなければ藩は栄えません。そのために武士も民と一緒に鍬や鋤をもったのです。

鷹山の「民富」の精神、すなわちお客様志向の精神を広め、また風通しの良い職場づくりをしたいとの思いから、社長に就任(05年6月)してから全事業所を回っています。

事業所は都市部だけでなく、山間地域にもありますから、1泊2日のスケジュールで回ります。高松から高知に行き室戸を経由して徳島に、そこから川を遡って徳島の西部地域を回り高松に戻ってくるという具合です。従業員の事務机の前にすわり、「元気に仕事をしてほしい、風通しの良い現場にしてほしい、そのためには何でも言ってほしい」と言葉をかけます。ときどき、「珍しい。社長が山の中まで来た」と写真を撮られることもあります。

童門冬二さんの『上杉鷹山の経営学』には、鷹山が改革を実行するために江戸から初めて厳冬の米沢に入ったときのエピソードがあります。野宿をし、何気なくかき回した煙草盆の灰の中に小さな残り火を見つけ、それを新しい炭に次々と移すうちに、改革の火種を絶やすことなく大きく広げていくことが大事なのだ、と決心する場面です。私も同じ思いです。

私は、相田みつをさんの『一生燃焼 一生感動 一生不悟』という言葉も好んで使います。「心底から物事に没頭し、それによって感動を味わいなさい、悟らなくても構わない」という意味ですが、上杉鷹山も、米沢藩も、まさに一生燃焼・一生感動であったのだと思います。

(篠田 達=構成 浅井忠士、西田茂雄=撮影)