リーマンショック2年後には復活の兆し
最初の上場準備がご破算になったことも、精神的にダメージとなっていたのでしょう。実は、この年──2009(平成21)年2月に株式公開を予定していて、準備を進めていました。それがリーマンショックで白紙になってしまった。綿密な計画を立てて進めてきただけに、落胆も大きかったのです。
しかし、少しタイミングがずれて、例えば半年前に上場を果たしていたとしたらどうでしょう。かえってリーマンショック後の再起は叶わなかったかもしれません。まだ運があったということだと今では思っています。
オイルショックのときは、再建に向けて孤軍奮闘せざるを得ませんでしたが、リーマンショックでは、残った従業員たちが精いっぱい頑張ってくれたおかげで、2年ほど経過する頃には何とか復活の兆しが見えてきました。
2010年代に入ると当初100億円規模だった負債も40~50億円程度まで減り、その時点で銀行側はもう危機は脱したと判断したようで、銀行の管理下から脱することができました。
そして、念願の株式公開は、2018(平成30)年3月16日に実現しました。東京証券取引所市場第1部に上場を果たすことができたのです。初めての株式公開でしたので、東証2部からのスタートになると思っていたのですが、いきなり第1部での上場となりました。東証側にそれだけ評価してもらえたということで、喜びに堪えませんでした。
派遣・請負業界の健全化につながった
リーマンショックは私たち派遣・請負業界にも深い爪痕を残し、多くの会社を廃業へと追い込みましたが、半面、業界の健全化・浄化に一定の役割を果たしたのも事実です。
リーマンショックの前までは、発注者(メーカー)の立場からすると、今まで自社の正社員が担当していた業務を下請けへ発注することで、大幅なコストダウンにつながりましたが、請負事業主としては、労働者の賃金と会社の最低限の利益を除くと何も残らないという、ぎりぎりの状況で事業を営まざるを得ない状況も発生していました。
ところが、リーマンショックにより100万人規模といわれていた労働者の6割がこの業界を離れました。その数年前から偽装請負が社会問題化していましたから、本人だけでなく親などに反対され、もう請負業界には戻らないと決めた人たちが、その後景気が回復し再び業務請負へのニーズが高まった際にも戻ってこなかったためだといわれています。これに少子化や労働人口の減少などが追い打ちをかけ、他の業界と同様、請負業界も慢性的な人手不足に陥ったのです。
そのため請負企業は各分野で高い技能を持つ従業員を確保するために、労務原価(給与・教育・福利厚生等)を高めに設定し、雇用環境を整備せざるを得なくなりました。そうなると需給のバランスが崩れ、発注者であるメーカーに対して取引単価の値上げを交渉し、その金額はだんだんと上昇していきます。すると値段が上がってくることで、発注者も金額に見合った高いクオリティと改善力を求めるように変わっていったのです。