「Web現代」をきっかけに酒井莉加と知り合う
だが、天才肌の志らくには、芸人が持っていなければいけない、人懐こさというものに欠けていた。立川流の落語家は落語協会を飛び出したため、寄席や、談志が始めた日テレの「笑点」には出られない。志らくも客を集めるための知名度に欠けていたから、500人近いハコになると集客に苦労した。
志らくとは別の因縁もある。彼の現在の奥さん、酒井莉加(38)は、1999年に私が講談社で立ち上げたインターネットマガジン「Web現代」が取り持った縁であった。
私は、ここでいろんな試みをした。その中に、アイドルグループをつくって売り出そうとしたことがあった。「リンクリンクリンク」という10代の女の子3人グループがそれである。CDをつくり、パパイヤ鈴木さんに振り付けをお願いして、都内のあちこちで販促のためのショーをやった。その中の一人が酒井だった。芸能界に入りアイドルとしてデビューしたが、挫折した子だった。
「Web現代」では、談志師匠の動画、志らくの短編映画などもやっていたので、志らくも出入りしていた。師匠の担当編集者が志らくと酒井を引き合わせたと聞いている。志らくは、学生時代に結婚し、その後離婚しているが、子どもは奥さんのほうが引き取って育てているようだ。
私が知らない間に、志らくと酒井は一緒になっていた。
18歳も年下の元アイドルに、落語家の女房が務まるのかと、松岡さんと心配したが、志らくの芝居にも出るようになり、うまくやっているように見えた。
舞台を見に行くと、終わってから挨拶に来てくれた。彼女は落語家たちの中に溶け込んでいるように見えたので、安心していた。2人の間には子どもが生まれ、談志が亡くなった後、練馬にある師匠の家に移り住んで、暮らすようになった。
このまま落語家にとって大事な50代を、落語一筋に精進すれば、談志、志ん朝とはいわないが、現代を代表する落語家の一人にはなれるかもしれない。そんなことを松岡さんと話していた。
だが、志らくは、私たちが考えていたのとは、真逆の方向へ突っ走っていってしまうのである。